広い御主殿跡の横から標高460㍍の本丸跡をめざします。

要害の金子曲輪(くるわ)を過ぎたあたりだったでしょうか。

視界が広がり八王子市街が見渡せます。

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攻めるのは大変そうですが、実際にはわずか1日で前田・上杉軍が落としている。

城にこもったのは3000人。将兵は少なく、近在の農民が主だったらしい。

豊臣勢は1万5000人。

正面は持ちこたえたが、搦め手からの奇襲攻撃に崩れてしまったという。

搦め手は下恩方村からというからわれわれのたどったルートなのか。

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八王子神社に着きました。

北条氏照が築城にあたり城の守護神とした「八王子権現」。

八王子市の名前の由来になった神社です。

深沢山(のちの八王子城)で修行していた妙行という僧侶のもとに8人の童子を伴った牛頭天王があらわれた。

妙行は延喜16年(916)に深沢山を天王峰とし、周囲の8つの峰を八王峰として祠を建てたのが八王子信仰の始まり。

牛頭天王を祀る信仰は全国に広まっています。祇園社がそうです。

八王子神社や八王子権現も各地にあります。

八王子城あたりがいつごろから八王子と呼ばれるようになったかは定かではありません。

記録に残っているのは氏照の父氏康の書状にある「八王子筋」。

氏照が八王子城を築く前です。

それで八王子城跡あたりの地名は元八王寺町。

元八王子町はもっと八王子駅や西八王子駅に近いところだと思ってました。

八王子のはじまりは高尾駅そばだったんですね。認識を改めました。

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神社のすぐ上に本丸跡があります。

祠があるだけです。

狭いところなので多くの兵が守備していたとも思えません。

最も高いところなので象徴的な意味で本丸と呼んだのでしょうか。

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ここからは旧甲州街道の駒木野バス停めざして下ります。

時刻は3時15分。やや遅れ気味かな。

富士見台を経て地蔵平に着いたのは5時20分。

けっこうアップダウンがあったので水分補給の休憩で時間を取られたかも。

駒木野登山口は5時55分。バス停は6時10分。

高尾駅近くの寿司屋に腰を落ち着けたのは6時半になってました。