肺がんと共に生きる -5ページ目

旅立ちの日

先生が帰られたあと
ラインを確認すると弟たちから午後9時20分に無事に自宅に着いたとの連絡がありました。

私達は15分おきに点滴のボタンを押して
旦那さんが苦しまないようにしてました。
酸素量も計ってましたが10時半頃には50%台でした。
12時少し前、息を吸って、、、
そして吐きません。。。
みんなで声かけ続けたけど吸った息を吐いてはくれませんでした。
慌てて脈を取ろうとしましたが
私は気が動転してるせいか、測ることができません。
妹が旦那の首に手を当てて
『お姉ちゃん、まだ脈はあるよ!』
私は旦那にしがみついてました。
また、妹が『脈なくなっちゃった。。』
時計を見ると12時ちょうどでした。
みんなで泣いて、みんなで感謝の言葉をかけて
お別れしました。
しばらくそうしてるうちに
旦那の身体が冷たくなっていきました。
弟たちが自宅に着いて2時間ちょっと。
まだまだ先の事かと思って帰ったのに、
こんなに早く逝くなんて。。
もう少しお世話したかったな。

訪問医の先生に呼吸が止まりましたとの電話をいれ1時近かったけど、すぐに来てくれました。
死亡診断書を受けとりました。
その後、葬儀社にも電話して。。
葬儀社は叔母の知り合いに頼みました。

旦那さんが傷んではいけないと、
ストーブを消して、みんなで毛布を羽織って寒いなか待ってました。

10月24日

朝ご飯、何を食べたんだろう。
誰が用意したんだろう。
何も覚えてないな。
このブログ、私がつけてた介護(看護?)記録を元に書いてます。
私が寝てる間も看ていてくれた甥っ子と妹にも書くように頼んでたので
旦那の事は正確に書けます。
先生の処置も先生方がケアノートに何をしたか詳しく書いて下さってるので正確に書くことができてます。

24日は朝6時半に先生がいらしてくれました。
朝に服用するリンデロン(ステロイド)
錠剤のめなかったら点滴で処方するね。
と言われてたので、連絡しなくても来て頂けました。
リンデロンの点滴とおしっこを見て頂き、
少しおしっこ出たね。良かったですね。
気持ち悪いだろうからオムツ交換しましょうね。
って、先生がやりはじめました。
時間外の診察は先生一人できます。
看護師さんはついてません。
細っこい女医さんです。
私の旦那さんです。先生一人にやらす訳にはいきません。
お手伝いさせてください。と言って
先生と二人で旦那のオムツ交換をしました。
管入れとけば、オムツ交換しなくてもいいのに。。

本当に患者に寄り添ってくれる先生でした。
お昼は訪看さんにお願いしとくからね。
⚪⚪さん(旦那)の嫌がるおしっこの管はしないでおきますね。
また、夜に来るけどその前に何かあれば電話下さいね。と言って帰られました。

モルヒネをさらに増量してもらえて
旦那さんは起きることはありませんでした。

午後1時半、飛行機の時間がせまって
旦那の姉弟は帰っていきました。
ありがとう。1日寝れる時間を作ってくれて。
私はまだまだ頑張る力を補充できました。
この頃はずっと寝たままでいい。
話さなくても、息してるだけでいい。
旦那のお世話できれば、それでいい。
と、思ってました。

午後2時に訪問介護の人がきてくれました。
管でおしっこを取ってくれました。
足の裏を洗って頂きました。
私が洗えなかった唯一の場所。
ひげも剃って頂きました。
これから、口腔ケアも必要だとよのとで、
も一人の妹に買ってくるように頼みました。

そして、弟家族たちと入れ替わるように仙台から私の妹がきてくれました。

もう目を醒まさないようにしてるから
来ても話せないから、その時がきたら来ればいいよ。って言ってたのにきてくれました。
嬉しかったけど、申し訳なかったな。
お金一杯つかわせちゃった。。

妹が旦那に声をかけます。
絶対起きないと思ってたのに
目をあけ、力強い眼差しで妹を見てました。

それからは起きることありませんでした。
相変わらず酸素量を計り90%切ったら口からも酸素吸わせて。。の繰り返しでした。
 でも、その頃には酸素90%になることはなかったです。

夜9時にまた訪問医の先生が来てくれて
旦那の状態をみて
もう少しモルヒネ増やしますね。
レスキューのボタンも15分おきに出るようにしますね。

そして、玄関先で『今晩がお別れの時だと思います』と言われました。
不思議と涙は出ませんでした。
ようやく、苦しみから救ってあげられるんだ。
その気持ちの方が強かったです。
私は冷静に、その時がきたらすぐに電話した方がいいんでしょうか?
と、聞いてました。
先生は『いつでもいいんですよ。
すぐでもいいし、十分お別れが終わった時でもいい。何時でもいいからね。』
もう、酸素量は気にしなくていい。
見てられるのなら、苦しそうな時、眉間にシワが出たときに、レスキューのボタン押してあげてね。そしたら苦しむことないからね。
そういって、帰られました。





10月23日③

訪問医の先生にモルヒネの量を増やして頂き
再び眠りについた旦那さん。
来てくれた弟の息子。19歳で昨年社会人になったばかりの子が『僕が看てるからkazuちゃんは寝て!』
甥っ子にまで、ちゃん付けで呼ばれてる。
ちなみに旦那はくん付け。子なし夫婦あるあるですかね?
私も3日間、ほとんど寝てないので
お言葉に甘えて、酸素量のコントロールの仕方を教えて
他のみんなにも、寝ないで看てるからkazuちゃんは寝て!そのために来たんだよ!
と言われ、長旅で疲れてる姉弟たちに旦那さんを託して
それでも、離れたくないので介護ベッドにいる旦那の隣で寝かせてもらいました。
何かあったら、起こしてね。といって旦那の隣の狭い空間に強引に横になりまた。
みんな優しい。。。
夜中の12時少し前に起こされました。
なんと!旦那さんが、起き上がってます!
お腹すいたって言ってるよ!

もう苦しい思いさせたくなくて
短い時間のなか家族会議で、もう目を覚まさなくていいから苦しませないようにしようって決めて
モルヒネの量を倍にしてもらったばかりです。
食べられるようになるなんて、目を覚ますことはもないと思ってたので旦那の食事の準備してなかった。
すぐに食べれる物は、お昼に親戚のおばさん(母の姉)が差し入れてくれたパンしかありません。
パンでいい?って聞くと頷いたので
クリームパンを小さくちぎって口の中に入れました。
なんと、1個半も食べてくれました。
あぁ、用意しとけば良かった!
またもや後悔です。。。
でもね、そのパン。
札幌では有名なパン屋さんのパン。
美味しそうに食べてくれました。
これが、最期の食事になってしまいました。
私の手料理じゃないのが残念です。
その後、夜起きて飲めるようなら飲ませてね。
と言われてた薬。セレーネ。
なかなか飲めなくて。。
でも、飲めばまたゆっくり寝れるので
みんなが見てる前で恥ずかしかったけど
口移しで飲ませました。
私の恥など、この際どうでもいい。
旦那が楽になれればそれでいい。
その後も、甥っ子たちに託し私は旦那の隣でまた眠りました。
朝まで寝かせてもらいました。
有り難かったです。
24日になってました。