猛烈な暑さ。

せっかく南部公園に来たので、この機

会に樫井川沿いを歩いてみた。

大坂夏の陣の舞台になった地である。

 

大坂夏の陣「樫井古戦場跡」

明治橋を渡ると大坂夏の陣の石碑がある。

慶長20(1615)年に豊臣方と徳川方の

両軍が、最初に激突した大坂夏の陣の戦

さの地。

同年4月28日徳川方の先陣、紀伊の浅野

長晟の軍勢5千人、一方、豊臣方は大野

治房を主将とし、2万の大軍。浅野方の

先陣は佐野市場に到着し紀州街道筋や樫

井川の河原で、合戦が始まる。

 

 

 

樫井古戦場跡(大阪府泉佐野市中樫井、明治大橋北詰)

 

 

 

 

 

樫井川沿いをゆく。

西の明治橋から東の大正橋の間は、かつて

の合戦の地で、いまは両岸に廃品回収に関

わる大きな工場があり、左岸の南部公園で、

少年らがサッカーををしている。

明治橋から大正橋まで右岸歩く。この間に

鳥居や墓地、神社、寺院などがある。

 

河口から2.1㎞付近に扁額がない鳥居があ

る。傍の石碑には白王龍王大神、里長龍王

大神、樫原大明神とあり、昭和60(198

5)年6月14日に建立される。

 

 

 

 

河口から2.3km表示板付近には樫井西町

会墓地があり、ここから南部公園のグラ

ウンドが見える。

 

 

堤防を降り、墓地のなかを通り街の

中に入る。

 

 

樫井西町会墓地

 

若宮神社があり、ここから堤防の方に

戻る。その途中に福正寺がある。

 

 

若宮神社(泉佐野市南中樫井627)

 

福正寺

若宮神社から福正寺を通る。

福正寺は、浄土真宗本願寺派で山号が香花山。 

 

 

福正寺(大阪府泉佐野市南中樫井530-1)

 

樫井川に架かる大正橋

 

 

樫井川に架かる大正橋

 

正法寺

樫井川に架かる大正橋北詰に紀州街道

の正法寺があり、淡輪六郎兵衛重政の

墓がある。

淡輪六郎兵衛重政は、古くから和泉国

淡輪(現岬町)の豪族で、六郎兵衛の

姉は豊臣秀次の側室の小督局(おごう

のつぼね)で、その子のお菊も夫とと

もに豊臣方として戦う。

六郎兵衛はその樫井合戦の先鋒隊とな

り、4月29日早朝、塙団右衛門とと

もに紀州街道を南下し、樫井で待ち構

える浅野軍に突入し、乱戦の中で討ち

死にする。

 

 

正法寺横の淡輪六郎兵衛重政の墓

 

さらに道なりにゆくと檀右衛門の墓が

ある。壇団右衛門はこの地で討死、と

きに48歳。

五輪塔は紀州の士・小笠原作右衛門が

造立し、石灯篭は討ち取ったという八

木新左衛門の孫が奉納する。

250回忌の明治元(1868)年に団右

衛門の子孫の櫻井氏が補修し、観音寺

に位牌を納め、以後、当地の人で守ら

れている。

 

 

樫井川右岸の紀州街道沿いの檀団右衛門の墓

 

樫井川「樫井合戦」大坂夏の陣

慶長20(1615)年4月9日紀州街道

筋や樫井川の河原で、壮烈な戦いが繰

り広げられた。

結果、樫井合戦は大阪方の敗北となり、

樫井合戦から9日後の5月7日に大阪城

は落城し、秀頼と淀殿は自害し、豊臣

家は滅びる。

 

 

 

樫井合戦の樫井川両岸(大正橋から明治橋側を見る)

 

 

 

 

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