戦後77年、世界の中の日本。

日本は何処へゆくのか。

政治家は国民のためにあるはず。

 

ひとは環境によって育ち、その人

には、性分というものがつきまと

っていくようだ。

 

鳩山家と政権交代

一国の総理もそうである。

名家で、資産もあり、賢夫人の誉れ

高い「華麗なる一族」の鳩山家。

戦後、鳩山家から2人の総理を輩出

している。

 

鳩山一郎と児玉誉士夫

かつて総理経験者鳩山由紀夫の祖父

・鳩山一郎と児玉誉士夫。

 

戦後、政界の大黒幕と言われた児玉

誉士夫(1911-1984)は、敗戦直

後に鳩山一郎を担ぎ、ロッキード事

件で表に姿を見せ、キング・オブ・

フィクサーとも呼ばれる。

 

児玉と鳩山一郎

最初じぶんが、鳩山さんに会ったの

は、終戦直後の20年10月中旬ごろ、

両者を紹介したのは辻嘉六老人であ

った、という。

辻嘉六は、旧日本軍が戦時中に民間

から接収した金属・軍需物資の大半

をGHQ占領前に隠し、この資金が日

本化学産業社長・辻嘉六から政界に

流れていることが判明、かれは自由

党(1945-1948)の結成を支援を

する。

 

この隠退蔵物事件で、芦田内閣(194

8.3-10民主党・日本社会党・国民協

同党)の早期瓦解につながる。

 

 

左から2人目児玉誉士夫、隣が鳩山一郎(昭和27年8月箱根にて)

 

<児玉と鳩山(自由民主党結成)>

この人(鳩山)を是が非でも。

追放となったじぶんは、およそ2年

間を釣り三昧で毎日を送ったが、2

5年の暮れごろから、ときおり小石

川音場の鳩山さんのところに行くよ

うになった。

そして、無聊に苦しみ、悶々の日々

を送っていた失意の鳩山さんをなぐ

さめているうち、おいおいとこの人

物に力こぶを入れねばならぬ仕儀と

なったのである。

鳩山さんにつきつけた条件はひとつ。

なにがゆえにじぶんは、天皇制護持

を唯一の条件としたかは、敗戦直後

における日本国内の、あの物情騒然

たる険悪な空気と、混迷と暗澹の重

なりあった民衆の心理的動揺を忘れ

えなかったからである。という。

 

昭和30(1955)年の第27回総選

挙で社会党が大きく勢力を伸ばした

ために、日本民主党と自由党が合体、

自由民主党ができ、初代総裁に鳩山

一郎が就任することになる(195

5.11.15)。

 

 

自由民主党結成(右から大野伴睦・三木武吉・緒方竹虎・鳩山一郎 1955.11月

 

児玉誉士夫「鳩山一郎評」

児玉は戦前の国会が「本競馬」とし

たら戦後は「草競馬」と評し、自民

党は「箸にも棒にかからぬ」手合い

(議員)が占めている。といい、「

気が弱くて、人情家な鳩山さんは当

代あつらえ向きの政党総裁ではなか

ったようである。」と評価する。

以上児玉自伝「悪政・銃声・乱世」

もとに記す。

 

鳩山一郎と鳩山由紀夫(友愛)

1986年祖父・鳩山一郎の代から地盤

であった北海道旧4区から自民党公認・

田中派新人候補として立候補し当選す

る。

 

鳩山家は政界きっての資産家で、資産

総額90億円を下回らない。

祖父・一郎から受けついだ別荘が軽井

沢にあり、宿泊施設「友愛山荘」をも

つ。

 

弟の鳩山邦夫に遅れること10年での政

界入りだったが、祖父・鳩山一郎以来

の人脈に支えられる。

 

由紀夫の初当選から23年後。

憲政史上に残る選挙となった13年前、

2009年の衆院総選挙の結果、政権交

代が行われることになり、民主党の鳩

山一郎が連立政権の内閣総理大臣にな

る。

 

この華麗なる一族の政治家、児玉誉士

夫のいうように、育ちがよくて、政治

家としてあつらえむきでなかったよう

だ。

これって、現在の日本の政治家に似か

よったところが多くみられるようだ。

 

 

「鳩山一郎50年祭」の鳩山由紀夫と邦夫(2009.3.7ホテルオークラ東京)

 

年譜

昭和7(1932)  年  満州国(「弐キ参スケ」)

           (東条英機・岸信介・鮎川義介他)

昭和16(1941)年  第二次世界大戦「開戦」

           東条英機内閣(1941-1944)

昭和19(1944)年  小磯国昭内閣(1944-1945)

昭和20(1945)年  鈴木貫太郎内閣(1945-1945)

           終戦「敗戦」

           東久邇宮稔彦(1945-1945)

           幣原喜重郎内閣(1945-1946)

昭和21(1946)年  東京裁判 

           吉田茂内閣(1946-1947)

           日本国憲法公布

昭和22(1947)年  片山哲内閣(1947-1948)

昭和23(1948)年  昭和電工事件(GHQ関与)

           炭鉱疑獄10月

           吉田内閣(1948-1954)

昭和25(1950)年  朝鮮戦争(~1953)

昭和26(1951)年  日米安保条約

昭和30(1955)年  自由民主党結成         

           鳩山一郎内閣(1954.12-1956)

           55年体制始まる

昭和31(1956)年  石橋湛山内閣(1956.12-1957.2)

昭和32(1957)年  岸信介内閣(1957.1-1960.7)

昭和35(1960)年  新日米安保条約(改定)

           池田勇人内閣(1960-1964)

昭和39(1964)年  佐藤栄作内閣(1964-1972)         

昭和47(1972)年  田中角栄内閣(1972-1974)

           日中共同声明

昭和49(1974)年  三木武夫内閣(1974-1976)

           児玉誉士夫「自伝」

昭和51(1976)年  ロッキード事件、

           福田赳夫内閣(1976-1978)

昭和53(1978)年  大平正芳内閣(1978-1979)

昭和55(1980)年  鈴木善幸内閣(1980-1982)

昭和57(1982)年  中曽根康弘内閣(1982-1983)

昭和62(1987)年  竹下登内閣(1987-1989)

平成 元(1990)年  宇野宗祐内閣(1989-1989)

平成  2(1990)年  海部俊樹内閣(1989-1991) 

           角栄政界引退・越山会解散

平成  3(1991)年  宮澤喜一内閣(1991-1993)

平成  5(1993)年      細川護熙連立内閣(1993-1994)

           55年体制崩壊

平成  6(1994)年  羽田孜内閣(1994-1994)

           村山富市内閣(1994-1996)

平成 8 (1996)年  橋本龍太郎内閣(1996-1988)

平成10(1998)年  小渕恵三内閣(1988-2000)

平成12(2000)年  森喜朗内閣(2000.4-2001.4)

平成13(2001)年  小泉純一郎内閣(2001.4-2006.9)

平成18(2006)年  安倍晋三内閣(2006.9-2007.9)

平成19(2007)年  福田康夫内閣(2007.9-2008.9)

平成20(2009)年  麻生太郎内閣(2008.9-2009.9)

平成21(2009)年  鳩山由紀夫内閣(2009.9-2010.6)

平成22(2010)年  菅直人内閣(2010.6-2011.9)

           東大日本震災

平成23(2011)年  野田佳彦内閣(2011.9-2012.12)          

平成24(2012)年  安倍晋三内閣(2012.12-2020.9.)

令和  2(2020)年  菅義偉内閣 (2020.9-2021.10)

令和  3(2021)年  岸田文雄(2021.10-)     

令和  4(2022)年      安倍晋三没(銃撃事件7.9)

 

2022.10.3

鳩山家と「政権交代」ー新東京物語(109)