世界の中の日本。

日本はウクライナ侵攻で、円安・物価

高と世界経済の影響を受け、岸田内閣

は内憂外患で混沌としている。

 

戦前・戦中、そしてロッキード事件で

姿を見せた。戦後キング・オブ・フイ

クサーと呼ばれた児玉(1911-1984)。

 

児玉18歳のとき、失業者と農村の救済

を訴えるため天皇直訴で入獄。

それから約30年入獄と闘争、投獄の連

続であった。

戦中に中国・満州での児玉機関活動によ

り、A級戦犯収容所に入獄する。

これが最後の入獄となった。

 

 

児玉誉士夫

 

笹川良一(国粋大衆党)と児玉誉士夫

笹川良一(1899-1995)は尋常高等小学

校卒業後海軍の飛行隊に入隊。

大正14(1925)年村会議員となり、芸能

事務所や株式相場で財産をつくり、飛行機

や飛行場を献納し、軍人に知己を得る。

昭和6(1931)年満州国が建国され皇帝

溥儀と会見、右翼団体「国粋大衆党」を組

織(党員数15000人)し総裁となる。

 

「国粋大衆党」には若き日の児玉誉志夫が

いた。

昭和10年笹川は大阪鉄道買占めの際に恐喝、

暴力行為で逮捕される。

昭和17年衆議院議員に当選する。この頃に

重光葵、岸信介、安岡正篤とも親交があった。

 

巣鴨プリズン(笹川良一と岸信介)

戦後昭和20年A級戦犯容疑者として巣鴨プ

リズンに入獄することになり、同じところ

で暮らす。

満州国進出の「弐キ参スケ」のひとり岸信

介は巣鴨で3年半拘置される。

笹川は、出所後和24(1949)年から岸信

介に協力を仰ぎ、紆余曲折を経て昭和26(

1951)年に衆議院でモーターボート競走法

は再議決がなされ成立する。

 

 

左より笹川良一、小佐野賢治、児玉誉士夫 

 

岸信介(誓約書)と児玉誉士夫

「誓約書」誕生まで

党総裁の任期は2年。昭和34(1959)年1

月24日の党大会での総裁選に児玉誉士夫は

動く。

 

オブザーバー

「1月16日に、帝国ホテルの‟光琳の間”で、

岸・大野・河野・佐藤の四者会談が行われ、

これまでの行きがかりを一切水に流して、

大野・河野・佐藤の三者がよりをもどし、

互いに提携して岸政権に協力することにな

った。

 

さらにいま一つ、後継総裁には大野さんを

擬し、岸・佐藤・河野の三者がこれを推す

ことも確約された。

なお、この席上それぞれの交友関係をもつ

永田雅一(大映社長)と萩原吉太郎(北炭

社長)の両氏にじぶん(児玉)を)加え、

オブザーバーとして同席した。」

 

 

誓約書誕生(岸・大野・河野・佐藤)

そのおり永田さんが「政治家諸侯はときど

き口にしたことを、実行しないクセがある

から、きょうはひとつ誓約書を作っておか

れてはどうか」と言われ、岸さんも率直に

「そうしよう」と同意して、岸さん自身が

筆を執り、

『昭和34年1月16日、萩原・永田・児玉三

君立会の下に於いて、申し合せたる件につい

ては協力一致、実現を期すること、右誓約す

る』と認め、それに岸・大野・河野・佐藤の

各氏の順で署名し、この一札は萩原さんが預

かることになった。」

 

 

 

自民党総裁選に向けての誓約書(岸・大野・河野・佐藤)

 

 

児玉誉士夫「黒幕」と岸信介

「こんな政治の舞台裏にあえて登場する

必要ないわけだが、わが国唯一の保守党

である自民党をして、国民一般からほん

とうに信頼されうる、健全な政党になっ

て貰いたいとの、純粋素朴な気持ちによ

るものであった」

 

結果、昭和34(1959)年1月24日の党

大会では岸信介が全票の3分の2を獲得し、

松村謙三を圧倒的に押え総裁になる。

 

 

 

岸信介は冷戦下のもと、首相となり、

1960年安保を乗り越え「昭和の妖

怪」と呼ばれる。

 

岸信介と統一教会は、反共産主義を

掲げ、岸信介は、東京の教会本部で、

講演(1970)し、合同結婚式にメッ

セージを送る(1982)など、たがい

の利益・保全ために一体になる。

このことが現在の自民党に継がれてき

た。

 

 

 

東京駅西口・皇居側の丸の内「三菱村」(三菱ビル30棟)

 

 

 

参考(メモ)

昭和元(1926) 年

昭和2(1927)  年  田中義一(内閣、昭和4没)

昭和3(1928)  年      久原房之介(鮎川義介)

昭和7(1932)  年  満州国(「弐キ参スケ」)

           (東条英機・岸信介・鮎川義介他)

昭和16(1941)年  第二次世界大戦「開戦」

昭和20(1945)年  終戦「敗戦」

昭和21(1946)年  東京裁判

           吉田茂(日本自由党総裁・内閣)  

昭和23(1948)年  昭和電工事件(GHQ関与)

昭和23(1948)年  芦田内閣(1948.3-10)

           吉田内閣(第2-3次・1952)

昭和25(1950)年  朝鮮戦争(~1953)

昭和26(1951)年  日米安保条約

昭和29(1954)年  吉田内閣(1948-1954)

           自由民主党結成

           鳩山一郎内閣(1954.12-1956)

昭和31(1956)年  石橋湛山内閣(1956-1957)

昭和32(1957)年  岸信介内閣(1957-1960)

昭和35(1960)年  日米安保条約(改定)

           池田勇人内閣(1960-1964)

昭和39(1964)年  佐藤栄作内閣(1964-1972)

昭和47(1972)年  田中角栄内閣(1972-1974)

昭和49(1974)年  三木内閣

昭和51(1976)年  ロッキード事件、福田内閣

昭和53(1978)年  大平内閣

昭和55(1980)年  鈴木内閣

昭和57(1982)年  中曽根内閣

昭和62(1987)年  竹下内閣

平成  2(1990)年  角栄政界引退・越山会解散

平成  5(1993)年      細川連立内閣 角栄死去12.6

 

 

 

 

 

国会議事堂(永田町)・霞が関・丸の内・皇居

 

 

2022.8.22

自民党(児玉誉士夫「悪政」)ー新東京物語(71)