戦前・戦後とかわりない時代が続く。
政界と財界、そして宗教と結びつき、
敗戦後78年になる。
岸信介(元首相)と文鮮明(統一教会)と
のつながりは古い。約半世紀前から反共産
主義の立場を通じ、交流していた。
皇居前から見える国会議事堂(東京大空襲のあと1945年)
統一教会(文鮮明)と日本
韓国で創設された旧統一教会(現世界平和
統一家庭連合)は昭和34(1959)年から
日本で布教を始め、64年に宗教法人として
認証される。教義は伝統的な家族観を尊重
し、強く共産主義を否定する。文鮮明は昭
和43(1968)年に国際勝共連合を日本と
韓国に創設。日本の初代名誉会長は、日本
船舶振興会会長の笹川良一。笹川は戦前よ
り岸信介と関係が深かった。
戦前(笹川良一と岸信介)
笹川良一(1899-1995)は昭和6(193
1)年満州国が建国され皇帝溥儀と会見、
右翼団体「国粋大衆党」を組織(党員数
15000人)し、総裁となる。昭和17年
衆議院議員に当選し、このときに岸信介、
重光葵、安岡正篤と親しくなる。
昭和38(1963)年に統一教会の日本支部
顧問を引き受け、昭和43(1968)年の国
際連合では名誉会長を務める。その後統一
教会の活動が問題視され、文鮮明との関係
が悪化した笹川は、昭和47(1972)年に
反共運動から手をひくことになり、国際勝
共連合の名誉会長をも辞任する。
岸信介「満州国(弐キ参スケ)」
戦前、日本は満州に進出する。
昭和7(1932)3月、清朝最後の皇帝・溥
儀を執政とする「満州国」が樹立される。
「弐キ参助」とは、満州に強い影響力をも
った東條英機(関東軍参謀長)、星野直樹
(国務院総務長官)、鮎川義介、岸信介(
総務庁次長)、松岡洋右(満鉄総裁)の5人
をいい、終戦後日本が満州に進出した「弐
キ参スケ」の5人は、A級戦犯容疑で巣鴨
拘置所に拘置される。
岸信介(東京裁判)
岸信介は、東京裁判では、
□開戦を決めた昭和20年11月29日の大本
営政府連絡会議の共同謀議に参加していな
かった。
□東条英機首相に即時停戦講和を求め、倒
閣した功労者。
□日米戦争回避のもと米国忠日大使ジョセ
フ・グルーの信頼を得ていたなどの理由で
、起訴のまま無罪放免される。
朝鮮戦争勃発
朝鮮戦争が勃発(1950年)。これにより
アメリカの対日政策は転換し、岸信介はじ
め公職追放者らは、サンフランシスコ条約
発効を機に公職追放を解かれることになる。
巣鴨で3年半拘置される。
巣鴨プリズン(岸信介と笹川良一)
巣鴨で3年半拘置された岸信介。笹川良一
も昭和20年12月A級戦犯容疑者として巣
鴨プリズンに入獄することになり、同じと
ころで暮らす。
戦犯志願の笹川の目的は東条ら戦犯容疑
者が天皇の戦争責任を口走るのを阻止す
るためで、笹川の死後に明らかにされた
自伝『巣鴨日記』には、戦犯になった高
官は「年寄、とくに上級軍人はズルイ」
と記す。
入獄で笹川は『ライフ』でモータボート
の写真を見関心を持ち、出所後昭和24(
1949)年から岸信介に協力を仰ぎ、紆余
曲折を経て昭和26(1951)年に衆議院で
モーターボート競走法は再議決がなされ成
立する。
久原房之介(政界の黒幕)
昭和3年久原房之介(1869-1965)は
、藤田伝三郎(財閥)の兄で、実業界か
ら政界に転じ、「政界の黒幕」と呼ばれ、
右翼に資金を提供して、二・二六事件に
関与する。
その後、鳩山一郎に接近し、立憲政友会
総裁に就任(1939年)後、「一国一党
論」を説き、
(1939年)聖戦貫徹議員連盟を結成し
、大政翼賛会総務を務める。
敗戦後、戦犯容疑を受けるが不起訴、公
職追放となる。公職追放解除後1952年
の総選挙で山口2区から当選、1期つと
める。
鮎川義介
「弐キ参スケ」のひとり鮎川義介(18
80-1967)は、久原房之助の義兄で久
原産業の社長に就任し、日本産業と改称
後に多数の企業の吸収を繰り返す。
企業再生ファンド」の先駆者で、15財
閥のひとつ日産コンツェルンの創設者
となる。
昭和12年に満州に進出、日産本社を満
州重工業と改称、帰国後は東条内閣顧
問となる。
戦後A級戦犯容疑により拘置される。
釈放後、昭和28年から昭和34年まで
参議院議員となる。
岸信介「昭和の妖怪(統一教会)」
岸信介は冷戦下のもと、首相となり、19
60年安保を乗り越え「昭和の妖怪」と呼
ばれる。
岸信介と統一教会は、反共産主義を掲げ、
政治と宗教が一体になり、東京の教会本部
で、講演(1970)し、合同結婚式にメッ
セージを送る(1982)などし、たがいの
利益・保全ために時代のなかで一体になり
今に至る。
東京駅西側丸の内(三菱ビル30棟「三菱村」)
参考(メモ)
明治天皇(1852-1912)
大正天皇(1879-1926)
昭和天皇(1901ー1989)
慶応4(1868) 年 江戸から東京、明治に改元(7月)
明治22(1889)年 大日本帝国憲法発布、
明治27(1894)年 日清戦争(1894-1895)
明治30(1897)年 楠木正成銅像(15代住友友純)
明治37(1904)年 日露戦争(1904-1905)
明治42(1909)年 伊藤博文暗殺(ハルピン)
大正元(1912) 年
大正3(1914) 年 第一次世界大戦(1914-1918)
大正8(1919) 年 米騒動
大正12(1923)年 関東大震災(9月1日)
昭和元(1926) 年
昭和2(1927) 年 田中義一(内閣、昭和4没)
昭和3(1928) 年 久原房之介(鮎川義介)
昭和7(1932) 年 満州国(「弐キ参スケ」)
昭和21(1946)年 東京裁判 吉田茂(政党内閣)
昭和25(1950)年 朝鮮戦争(1950-1953)
昭和26(1951)年 サンフランシスコ講和条約
吉田茂(天皇・皇室)
吉田茂の妻の父は牧野伸顕
(旧薩摩藩士、明治の元勲大久保
利通の三男)
妻・雪子(牧野の長女・1941年
死別)、後妻・喜代。
吉田茂の長女・桜子
(夫・吉田寛は外交官、首相岸信介・
佐藤栄作兄弟は父方の従兄弟、外相
松岡洋右の甥になる。)
吉田茂の三女・和子
福岡県、実業家・政治家麻生太賀吉夫人。
麻生太賀吉夫と和子の長男が麻生太郎で
あり、麻生太賀吉夫と和子の長女・信子
は寛仁親王(平成天皇の従弟、麻生
太郎の義弟)の妃。
佐藤栄作は岸信介の弟になる。
岸信介の長女・洋子は、安部晋太郎に
嫁ぎ、できた子の次男が安倍晋三(元
内閣総理大臣・1954-2022)で、三
男が岸信夫(前防衛大臣)で、ふたり
は岸信介の孫になり、岸信夫は岸信介
の養子として岸氏を継ぐ。
2022.8.10