東京には皇居の傍に国会議事堂がある。

日本の戦後。戦争後から77年を経た日本。

戦後の日本は、連合国から戦争責任を追求された。

 

 

 

「弐キ参スケ」

戦前、日本は満州に進出。昭和7(1932)

3月、清朝最後の皇帝・溥儀を執政とする

「満州国」を樹立する。

 

「弐キ参スケ」とは、満州に強い影響力を

もった東條英機(関東軍参謀長)、星野直

樹(国務院総務長官)、鮎川義介、岸信介

(総務庁次長)、松岡洋右(満鉄総裁)の

5人をいう。

 

 

陸軍記念日(1932年公共ポスター)

 

東京裁判

昭和21(1946)年5月3日、極東国際軍事裁

判(東京裁判)が始まる。日本が満州に進出

したとき「弐キ参スケ」と呼ばれた軍・財・

官の5人についてみてみる。

 

星野直樹「満州国」

星野直樹(1892-1978)は、日本の傀儡国

満州国で国務院総務長官で行政のトップ。

終戦後にA級戦犯として極東国際軍事裁判で、

終身刑を受けるが昭和33(1958)に釈放さ

る。のちに旭海運社長、ダイアモンド社会

長などを歴任する。

 

松岡洋右「国際連盟脱退」

松岡洋右(1880-1946)は山口県出身、

事変勃発後、昭和6年10月に国際連盟総会

に日本首席全権として派遣され、「十字架上

日本」

と題して、イエスが後世に理解された如く、

本の正当性はのちに明らかになるという演

説であった。

翌年昭和7年3月、国際連盟を脱退する。

帰国後は、「国民精神作興、昭和維新」を唱

、政党解消連盟を結成し、200万人を越え

る会員となる。

昭和15年7月近衛文麿内閣(第二次)で松岡

は外相に就任する。昭和16年3月、ヒトラー

(独)とムッソリーニ(伊)の両首脳と会談、

帰路に再度モスクワにて日ソ中立条約を調

する。敗戦後A級戦犯容疑者として、GHQ命

令により逮捕される。が、結核悪化のため極

国際軍事裁判法廷に一度のみ出席する。

翌年昭和21年に病死、66歳。

 

鮎川義介「財閥」

鮎川義介(1880-1967)は、井上薫(明治の

勲)の姪を母とし、山口出身。

昭和3年に田中義一(元陸軍大将)らの再建の

懇請に応じ、義弟・久原房之助の経営する久原鉱

業の社長を務める。

昭和9(1934)年、鮎川義介は満州の開発を促

させる「ドイツ系ユダヤ人5万人の満州移住計

画」を発表し、満州進出を求める軍閥「大陸派」

の後ろ盾を得る。

昭和12(1937)年に満州に進出。満州国の経済

運営では満鉄(南満州鉄道)が影響力をもち、

れを嫌った関東軍の求めに応じ、日本産業を満州

国に移す。当時、鮎川の会社は、日本産業を中心

に日本鉱業、日立製作所、日立電力、日産自動車、

日本油脂、日本水産など141社に10万の株主を集

め、12万人の従業員を雇用し、巨大財閥をしのぐ

会社であった。

鮎川義介は、戦後A級戦犯容疑により昭和20年12

月に逮捕され、巣鴨拘置所に20ヶ月拘置される。

A級戦犯容疑の鮎川義介は、「企業再生ファンド」

の先駆者で、釈放後昭和28年から昭和34年まで

議院議員となり、15大財閥のひとつ、日産コ

ンツェルンの創設者となる。

 

岸信介「日米安保条約」

昭和16年に発足した東条内閣に商工大臣として

入閣、太平洋戦争中の物資動員のすべてを扱う。

昭和20年、岸は翼賛政治会から衣替えした親東

条の大日本政治会でなく、反東条の護国同士会

を結成する。戦後、山口に帰郷していた岸は、

A級戦犯被疑者として逮捕され、東京の巣鴨拘置

所に拘置される。東京裁判では

□開戦を決めた昭和20年11月29日の大本営政府

連絡会議の共同謀議に参加していなかった。

□東条英機首相に即時停戦講和を求め、倒閣した

功労者。

□日米戦争回避のもと米国忠日大使ジョセフ・グ

ルーの信頼を得ていたなどの理由で、起訴のまま

無罪放免される。

 

朝鮮戦争が勃発(1950年)する。

アメリカの対日政策が転換し、岸信介はじめ公職

追放の人たちが、サンフランシスコ条約発効を機

に公職追放を解かれる。巣鴨で3年半拘置された

岸信介は、のち首相として、1960年安保を乗り

越え「昭和の妖怪」と呼ばれる。

 

 

公共ポスター(鉄道省・南満州鉄道)

 

皇居(昭和天皇)

77年前、敗戦国になった日本。

連合国は戦争責任者を逮捕し、裁判にかける。

このとき昭和天皇の戦争責任が追及され、ど

うするかが問われ、GHQ最高司令官マッカー

サーは、天皇の戦争責任を求めず、象徴とし

ての天皇の道を選び、憲法草案のもとをつく

り昭和天皇は戦争責任の訴追を免れる。

 

 

皇居近くの国会議事堂

 

天皇・皇室「秋篠宮妃紀子」と池上四郎

大阪の天王寺公園に池上四郎の銅像がある。

池上四郎は3期10年(1913-1927)大阪市

長をつとめる。池上四郎(1857-1929)は

会津藩出身で、会津城開城後に再興を許され、

開拓農民として暮らし横浜で勉学。

その後警察官となり、1900(明治33)年に

大阪府警察部長として13年間大阪の治安にか

かわる。

この間、宮武外骨は、高崎親章知事の汚職疑

惑を放置したと、池上四郎を批判する。

 

 

秋篠宮妃紀子の曽祖父池上四郎の銅像(天王寺公園)

 

ところで池上四郎の六女の紀子は、のちに内閣

統計局長になる川嶋孝彦と結婚する。その孫が

秋篠宮文仁親王妃紀子で、彼女は池上四郎の曾孫

にあたる。

 

池上四郎

   |ーー六女・紀子

   女    │

        │ーー川嶋辰彦

        │    │

      川嶋孝彦   │ーーー紀子

             │   │

             和代  │ーー眞子・佳子・悠仁

                  |

    美智子妃         │

      │ーーーーーーーー皇嗣・秋篠宮

      │ー―令和天皇(126)

      │     

昭和天皇ー平成天皇(上皇)

 

参考(宮武外骨)

明治天皇(1852-1912)

大正天皇(1879-1926)

昭和天皇(1901ー1989)

宮武外骨(1867ー1955)

 

慶応4(1868)  年  江戸から東京、明治に改元(7月)

明治22(1889)年    大日本帝国憲法発布、

           宮武外骨「頓智憲法」

明治27(1894)年 日清戦争(1894-1895)

明治30(1897)年  楠木正成銅像(15代住友友純)

明治37(1904)年  日露戦争(1904-1905)

明治42(1909)年  伊藤博文暗殺(ハルピン)

大正元(1912) 年

大正3(1914)  年  第一次世界大戦(1914-1918)

大正8(1919)  年    米騒動

大正12(1923)年  関東大震災(9月1日)

昭和元(1926) 年

昭和2(1927)  年  田中義一(内閣、昭和4没)

昭和7(1932)  年  満州国(「弐キ参スケ」)

昭和9(1934)  年     外骨雪冤祝賀会(小林一三) 

昭和21(1946)年  東京裁判

昭和30(1955)年  外骨没

 

 

 

 

2022.8.1

皇居(「昭和」田中義一)ー新東京物語(36)