時代は江戸から明治に移る。
江戸時代幕府の大名を描くことはご法度

であたが、明治にはいり将軍や大名な

ど、実際の事件を描くことはタブーでな

くなった。

 

明治維新後、ついこの間までは徳川家の

居所の江戸城を明治天皇一行が通る。

明治23(1890)年楊州周延(1838-

1912)の二重橋前の明治天皇一行。

新時代の象徴であった天皇は、やがて

「ご真影」の神秘のベールに包まれ

時代が明治・大正・昭和の戦後までつ

づく。

 

 

楊州周延『帝国議会 御幸之図』(明治23年)

 

現在の二重橋前。

 

 

皇居前の二重橋前

 

明治22(1889)年に大日本帝国憲法が

発布される。このとき宮武外骨は翌月自

身発行の雑誌『頓智協会雑誌(28号)』

に「愚意画 頓智研法発布式 附研法」

を図入りで掲載する。

 

 

頓智研法発布式

 

宮武外骨「頓智協会雑誌」

宮武外骨(1867ー1933)は慶応3(18

67)年、豪農の家(現香川県綾川町)で

誕生し、幼名は亀四郎、14歳で上京し進

文学舎で漢学を学ぶ。

 

このとき、当時最先端の新聞や雑誌に狂詩

や狂句を投稿し、学業おろそかになり二年

後に帰郷。

新聞・雑誌好きの彼は、中国の「亀は外骨

内肉ノ者也」から「外骨」と改名し、翌年

20歳のとき、「頓智協会雑誌」を発行する。

 

会員には、仮名垣魯文や三遊亭円朝などが

名を連ね、「古今和洋にて頓智を利用せし

偉人の事跡」を誌面でとりあげる。

 

創刊から2年後、大日本帝国憲法が発布さ

れる。(1889.2月)

このとき、外骨は、翌月の雑誌(28号)

に「寓意画 頓智研法発布式 附研法」を

図入りで掲載する。

「頓智研法発布式」の図にあわせ研法の

「大頓智協会は讃岐平民ノ外骨之ヲ統括ス」

にはじまる条文を「頓智協会雑誌」掲載す

る。

 

これにより外骨は「王座の上に骸骨を図

したる等は天皇に対し不敬の所為なり」と

告発される。

結果、不敬罪で重禁錮3年8ヶ月の刑を受け、

石川島の監獄で入獄する。

 

外骨『滑稽新聞』

獄中生活後の外骨。

彼は生涯40冊以上の雑誌を創刊しては廃

刊を繰り返す。外骨のどの雑誌も面白い。

例えば『滑稽新聞』。出獄7年後大阪の土

佐堀で、8年間発行したこの雑誌は第1号

(明治34年1月)から第173号(明治41

年10月)まであり、最終号は「自殺号」

と称し廃刊(1901-1908)。

 

廃刊になった滑稽新聞(自殺号)の表紙

には、威武に屈せず 冨貴に淫せず ユ

スリもやらずハッタリもせずとある

。記事に「悪官吏のため其生命を絶たれ

んとして潔く自ら死す、アゝ惜しいこと

だと云われたいのである」と記す。

 

表(裏)紙画のタイトルは「新陳代謝」

である。

 

 

「滑稽新聞第173号(明治41年10月「自殺号」)」

 

宮武外骨と小林一三

外骨は、小林一三を恩人だという。

小林一三は、宝塚劇場、阪急鉄道、阪急

百貨店、東宝映画をつくり、大阪での外

骨を支援している。

 

日刊新聞「不二」と小林一三

外骨は大阪で「日刊新聞不二」月刊雑誌

「不二」を創刊する。(大正2年)

 

資金不足だった外骨は、箕面電鉄の小林

一三に梅田郵便局跡地に社屋はただで、

浮世絵を高額で購入してもらい、毎月50

0円投与してもらっていたという(『公

司月報』)

 

 

大阪の梅田の不二新聞社・編集長宮武外骨の「不二新聞」


 

外骨翁雪冤祝賀会「奇人伝中の名物男」

大阪で16年活動したあと大正4年夏に東京

にゆく。

外骨の不敬罪による石川島監獄入獄は冤罪

であった祝賀会が昭和9(1934)年松本

楼(日比谷公園)で持たれる。

 

 

頓智協会雑誌筆禍事件の雪冤祝賀会参加者

(前列中央の宮武外骨と小林一三・写真右端)

 

ひとの運命はわからない。以下小林一三

による。

「井上梧陰先生から正に滑稽なりと証明

せられた、此重大事件は、何十年後の今

日に明白になった」という。

「井上梧陰先生つまり井上毅(子爵)が

裁いていたら無罪になっている」から雪

冤祝賀会をもつという。

また、石川島三年のお月見、すこしも良

心が咎めがないから、68歳の今日まで趣

味的に何不足なく、罵倒御勝手に一寸愛

嬌のある大久保彦左衛門式に世をおくら

れた。よって宮武外骨は、明治から昭和

にかけて、「奇人伝中の名物男なり」と

称する。

 

 

<年譜:浅草寺(「山東京伝机塚」)

山東京伝(1761-1816) 北尾政寅

太田南畝(1749-1823) 四方赤良・蜀山

蔦屋重三郎(1750-1797)筆綾丸(吉原連)

喜多川歌麿(1753-1806)蔦唐丸(吉原連)

石川雅望(1754-1830) 宿屋飯盛(号:六樹園)  

葛飾北斎(1760-1849)

歌川国貞(1786-1865) 三代豊国(号:五渡亭)

歌川国芳(1797-1861)

河鍋暁斎(1831-1889)

月岡芳年(1839-1892)

宮武外骨(1867ー1933)

 

文化14(1817)年  浅草寺「山東京伝机塚」建立

文政6(1823)年    南畝没

文政8(1825)年    国芳「豪傑百八人之壹人」(曲亭馬琴)

天保2(1831)年  北斎「富嶽三十六景」 

天保4(1833)年  国貞・広重双筆五十三次

天保6(1835)年  広重「東海道五十三次(日本橋)」

天保7(1836)年  国貞「吾妻源氏」

天保13(1842)年  天保の改革

弘化元(1844)年  豊国(国貞改名三代豊国)

嘉永2(1849) 年  北斎没

安政元(1854)年

安政2(1855) 年  安政の大地震

安政7(1860) 年  桜田門外の変

文久元(1861) 年  国芳没

元治元(1864) 年  豊国没

慶応4(1868)7月      江戸から東京、明治に改元

明治13(1880)年  暁斎「新富座妖怪引幕」(仮名垣魯文)

明治18(1885)年   芳年「奥州安達が原]

明治22(1889)年     暁斎没、大日本帝国憲法発布、外骨「頓智憲法」

明治25(1892)年     芳年没

大正元(1912) 年

昭和元(1926) 年

昭和9(1934)  年     外骨雪冤祝賀会(小林一三)

 

 

  

 

 

二重橋と日比谷公園(東京都千代田区日比谷公園)

 

2022.7.29

上野(河鍋暁斎「妖怪引幕」)ー新東京物語(31)