竹久夢二は、女性をこよなく恋した。

夢二が描く若い女性。瞳が大きく、

どこか憂いをふくみ、美しく感じる。

 

竹久夢二とかの女「たまき」

たまきは夢二(24歳)より2歳年上の女性。

夢二は早稲田実業学校の専攻科に進む。

一方、たまきは、絵画教師をしていた夫が

亡くなり、早稲田鶴巻町で、絵葉書店「つる

や」を開店していた。(明治38年4月)

 

夢二は、平民機関紙「直言」にはじめてコマ

絵が掲載され、たまきの店によく通い、夢二

は大きな瞳の彼女に惹かれ、求愛し、結婚す

る。

 

夢二が描く女性はかの女をモデルに、もろく

美しく描かれるが、実際は強く、夢二の嫉妬

心とぶつかり合い、結婚3年後にかの女と協

議離婚することになる(明治42年5月・1909年)。

 

富士登山

 

 

竹下夢二の最初の妻・たまき

 

モデルは最初の妻のたまき。

結婚3年後にかの女と離婚するが、3ヵ月後に

御殿場の駅で落合い、富士登山をする。

このときのことを夢二は「登山紀行」に、

「まあちゃんは、宿の婆に送られて、紅い甲

掛をして笠の下に鳩のよふな眼をかくして、

巡礼のような装束をし、出て来た」と記し、

そのときのかの女の姿を絵にする(明治42年・

1909年)。

夢二は、離婚後もかの女と付き合い、両手両

足をおおぶりにしたかの女を描いている。

 

「いささかいの後」

 

 

モデルがたまきで、「いささかいの後」絵の裏に

は、夢二の自筆で「これは、わたしの別れた女、

あるときの心持とのよく出た絵です。私だけには

忘れられぬ追想があるのです。

まあちゃん、お前を私の手からはなしたくないの

よ。でもいまはもうそんなことを言ってはゐられ

ない。…それではさようなら、まあちゃん」とあ

り、「ゐのり」(大正5年・1916年)にも離婚さ

れたたまきの悲しい心を、かの女の姿に重ねて表

現している。

 

ゐのり」

 

 

 

夢二は恋多き男であったが、いつも想う女性は

ひとりで、彼は心がもろく、心に傷がつくと、

夢二の心はかの女から離れていく。

ふたりのあいだに、3人の男子ができ、たまき

以後は夢二に子どもができなかった。

離婚後のふたり。ふたりは、宿命というか、そ

の後同居、別居を繰り返している。

 

その後夢二は、大正3年に「港屋絵草紙店」開

店し、笠井彦乃と出合う。

彦乃は夢二(34歳)より12歳下で、本郷菊坂

女子美術学校通学中で、京都(高台寺南門鳥居

脇)の夢二宅に彦乃が来て夢二はたまきとの子

・不二彦(6歳)と3人で暮らす。(大正6年・

1917年)

 

 

 

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