幕末、明治に生きた月岡芳年。
芳年の明治18(1885)年の作品で、老婆が
妊婦の女性を吊し上げ、老婆がこの女を睨み
つけるように包丁を研ぎ、囲炉裏(いろり)
から炎と煙が立ち上る様を描いた絵「奥州安
達がはらのひとつ家(や)の図」は発禁絵と
なる。
「奥州安達がはらのひとつ家(や)の図」
「安達が原一ツ家」伝説」
「安達が原」は福島県二本松市の地名で、鬼婆
が人を食う伝説がうけつがれてきた。その伝説。
「岩手」はかつて京都の公卿の姫の乳母であっ
た。姫が重い病気になり、易者がいう。妊婦の
生き肝を飲ませば治ると聞き、安達ケ原の岩屋
まで足をのばす。
木枯らしの吹く夕暮れとき。若夫婦がやってく
る。若妻は恋衣と名乗る。その夜更け産気づき、
夫が産婆を探しに家を出た。このときと、岩手
は出刃包丁を振るい恋衣の腹を裂き、生き肝を
とろうとする。
恋衣は苦しみながら「京都で、幼い頃別れた母
を探し旅していたが会えなかった…」無念を告
げ息をひきとる。
ふと見ると見覚えがある守り袋があった。恋衣
は昔別れた岩手の娘だった。あまりの驚きに気
が狂い鬼と化した。
これ以後宿を求めた旅人を殺し、生き血を吸い、
いつとはなしに「安達ケ原の鬼婆」として広く
知れ渡り、地域の伝承だけにとどまらず、長唄、
浄瑠璃、歌舞伎などに形をかえ広く伝播してゆく。
「奥州安達がはらのひとつ家の図」
老婆は、猿轡(さるぐつわ)させた妊婦を天井に
吊るし、囲炉裏の傍で出刃包丁を研ぎ、旅の女を
睨みつけ、これから悲劇の悲惨さが起こる前兆を
描く。
「奥州安達がはらのひとつ家(や)の図」は、
大判錦(縦2枚縦77cm横26cm)で明治18
(1885)年に明治政府に発禁処分を受ける。
理由は不明。
月岡芳年(1839-1892)
芳年は幕末の激動の時代、江戸と明治の時代を
生きた。嘉永3(1850)年11歳のとき、歌川
国芳に入門、慶応4(1868)年7月芳年30歳
のとき明治に改元、上野戦争など維新の動乱を
目撃する。
欧化の波は絵画の世界にも及ぶが、錦絵に浮世
絵の画題・画風をとりいれる。
芳年は、油絵の陰影、光線、明暗描写などを模
索し、新しい画題、画風の錦絵を拓いていくが、
師国芳などの錦絵や江戸時代の絵本を参照した
ものが多くみられる。源氏物語を翻案した「偐
紫田舎源氏」もそのひとつで、明治16(1883)
年作大判3枚作。
「偐(にせ)紫田舎源氏」(光源氏に喩えた足利光氏と鬼女と化した女性を描く)
月岡芳年は明治維新以後、ランプも石油も用いる
ことなく絵を描き暮らし、最後の浮世絵師と称さ
れる。
福島県二本松市
2021.7.16