王政復古後に倒幕をめざした新政府は、

旧幕府軍との戊辰戦争の最中に外国との

事件が起こり善後処理に追われた堺事件。

 

堺事件

慶応4(1868)年2月15日旧堺港で事件

がおこる。

新政府は大坂に薩摩藩を、堺には土佐藩

を配属させていた。

フランス船艦が堺港沖合で停泊するなか、

無通知で乗組員23名がランチで堺港に着

岸する。

これに土佐藩士尋問するが、言葉通じず

2名が堤防を走り出したために銃を発射

させ、近くの旭茶屋から出てきた藩士を

含めフランス兵と土佐藩士29人が争う。

結果、日本側は死傷者が皆無のなかフラ

ンス側は死者11名・負傷者5名を殺傷

させるという事件であった。

 

堺事件と土佐稲荷神社

フランス公使レオン・ロッシュの抗議に

より明治新政府はの処罰の要求を受け入

れる。

このとき、土佐藩士29名が大坂土佐藩邸

の土佐稲荷神社神殿前でくじで20名を決

め、翌日堺に護送される。

 

 

土佐稲荷神社(大阪市西区北堀江4丁目9-7)

 

五代友厚と堺事件

五代友厚

五代友厚は慶応3(1867)年12月に新

政府が成立すると、参与職外国事務掛

となる。

これまで友厚は薩摩藩派遣生として幕府

の長崎海軍伝習所で、9年間長崎で在住

し、航海・砲術・数学などを学び、すで

に友厚は薩摩藩英国留学生の派遣団副使

とし英国、渡欧にゆき、外国通であり、

藩が外国から必要とする船、物資などの

調達役もしていた。

慶応4年1月11日参与職外国事務掛の友

厚は神戸での備前藩士と英仏両国兵との

衝突した神戸事件の処理にあたる。

 

五代友厚と堺事件

同年翌月慶応4年2月友厚は大坂在勤と

なり、大阪川口運上所(税関)で外国貿

易関係事務を管轄する参与職外国事務局

判事となる。

このときに堺事件が起こり、フランスと

の善後処理にあたる。

 

堺事件と妙国寺

フランス公使ロッシュの抗議により、神

戸事件(1月11日)に準じ同年2月23日

土佐藩士20名の処刑が妙国寺にてとり行

われる。

両国立ち合いのもと切腹は箕浦猪之吉に

始まった。箕浦は、藩主よりの白衣を着、

白布で覆われた畳の上に座り、上半身を

開け短刀を取り左脇腹より右側にひき、

介錯人が首に太刀を振りろし、死体

に礼をして退く。切腹は午後4時に始ま

りこう順次行われてゆく。11人の切腹

を見届けたところでデェプレックス号の

艦長は外国局判事友厚(才助)処刑

中止を申し入れる。

 

 

 

        土佐藩十一烈士之英霊の妙国寺(大阪府堺市材木町東4丁1-4)

 

のち土佐藩士の死体は宝珠院に埋葬され、

助命された9人は朝命により土佐で流罪と

なる。

 

 

十一烈士の墓がある宝珠院(妙国寺の向かい)

 

 

 

 

堺事件の堺旧港

 

 

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