大河ドラマ「麒麟がくる」(本願寺を叩け)。

戦国の世に上洛を果たした信長。

室町幕府を滅ぼした信長は包囲網に追い

詰められ、鬼神と化し敵を叩きつぶして

ゆく。

 

ときは天正4

本願寺攻めで命を失いかけた光秀に

かわり病に伏す煕子。

煕子は節分のとき、屋敷内で床で鬼退治

の催しを見せてもらう。煕子は月明りの

もと庭を見、光秀の胸に寄り添い、走馬

燈の思い出にふける。

夢にはいろいろあるが。三女一男の子を

夢中に育て、この子らのために麒麟がく

るという平穏な国にしたいという十兵衛

と暮らし幸せだったと。

この年の秋に煕子はなくなる。

 

信長と朝廷

天正3年11月

朝廷より高い冠位をよ授けられた信長

(染谷将太)は実澄(石橋蓮司)より、

朝廷を蔑にすると言われる。

これに、正親町天皇(板東玉三郎)は

余の蘭奢待を敵の毛利に譲り、離れて

いっていると吐く。

信長の態度に疑問、危険視する朝廷。

 

本願寺攻めと家臣

本願寺攻めに疲弊する光秀(長谷川

博已)たち陣に信長が来、信長は

細川藤孝(眞島秀和)光秀などを

送りこむ。

光秀と煕子

京の館に運びこまれた光秀。煕子(

ひろこ)は東庵(堺正章)を呼び、

(門脇麦)は、その傍で看病、煕子(

木村文乃)は雨の日も必死に神社で回

復を祈る。

光秀と信長

数日後、信長は回復した光秀に毛利軍

が本願寺に食料を運びこんでおり、

軍を使い、毛利の船を駆逐し、光秀

妙な策」と応え、次いで信長は大和の

守護には家柄を重ん筒井順慶を据え

るという。

これに光秀大和は長年松永久秀殿が治

め、義昭公と同じく、戦いの火種をま

き散らすと意見。

そこへ、たま(戸田愛菜)が茶菓子

を持って来、信長はたまにいい嫁ぎ先

世話し、夢の安土城を見せてやると

言い、「大和は筒井に」と部屋を後に

する。

煕子と光秀

天正4年節分。煕子は屋敷で鬼退治を

み、この世に平らにする麒麟の十兵衛

に嫁いだと言い、同年の秋亡くなる。

煕子の葬儀は近江で執り行われ、妻の

葬儀に出るは考えられなかった時代だ

が、光秀がこの葬儀に出る。

 

天正4(1576)年

前年天正3年5月越前の一向一揆を壊

滅させ、さらに隣国の甲斐・武田とは

長篠の戦いで鉄砲隊により撃破する。

天正4(1576)2月

信長が美濃岐阜城から築城の安土城本

丸に移る。

 

 

安土城の本丸址(滋賀県近江八幡市安土町下豊浦

 

天正4(1576)年4月13日

石山合戦(1570-1580)の最中、顕如

が再度諸国門徒に信長敵対の兵を発する。

石山本願寺(当時摂津国東成郡生玉庄大坂村)

は大阪城内六番櫓北側が推定地。

 

 

大坂城内の石山本願寺推定地跡 

 

 

令和3(2021)年正月3日。

夢もいろいろあるが、麒麟がくる(39回)

で、新年のいい初夢を見る

ドラマっていいですね。

 

ときは天正5年に移る。

天正3(1575)年 

3月信長・家康連合軍、長篠城救援に向

い武田軍を撃破。

8月信長、越前府中に入り、一向一揆を

壊滅。

天正4(1576)年

2月信長、丹波長秀に命じて安土築城に

着手。

7月毛利輝元、織田水軍を木津川に撃破。

天正5(1577)年

11月信長、右大臣に任官する。

天正6(1578)年

11月織田軍、毛利水軍を木津川口に破る。

天正7(1579)年 

5月安土城の天守閣完成。

 

 

 

 

2020.12.27

麒麟がくる(明智光秀「将軍・天皇」)