「麒麟がゆく」(第32回)。

顕本寺の駒。

今井宗久が茶会を顕本寺でもつ。

その茶会に千利休、筒井順慶と並

び駒がいる。駒は、足利義昭に寵

愛され、駒さまと呼ばれる。

 

 

 

           顕本寺(大阪府堺市堺区宿院町東4丁1-30)

 

 

義昭と駒

応仁の乱後、家族をなくした駒。

京の都で、麒麟がくる平和な国を

求める一途な娘が薬をつくってい

たときだった。

貧しい民を救う僧侶・義昭と駒と

が出合い、互いに通じるものがあ

り親しくなる。

時が過ぎる。

15代将軍になった義昭と駒が再

会。

将軍・義昭が「蛍を取りにゆこう

」と誘う。とった蛍を蚊帳(かや)

に入れて見る義昭と駒。

駒の手に重ねた手を離さず。やが

て想いを遂げてゆく義昭。

以後義昭と親密を重ね成熟してゆ

く駒。

 

 

 

顕本寺と駒

光秀と藤吉郎。

ふたりが鉄砲を買いに堺の豪商・

今井宗久と会う。

宗久。すでに売約済みで、その相

手をあかさず。ふたりを茶会に招

く。

招待者は千利休、筒井順慶そして

駒とある。

その茶会の場所が顕本寺。

今や駒さまと呼ばれる身分になっ

た駒。

光秀のためにひと肌脱ぐ。

 

堺の顕本寺

(本能寺・日浄上人)

顕本寺。

日浄上人により建立(1481年)。

日浄上人は、本能寺の僧。

境内に本能寺日浄の刻印の石塔あり。

(三好元長と堺幕府)

顕本寺には三好元長の墓がある。

三好元長は久米田城の戦いで敗れ、

顕本寺に戻り自害し、己の腸(はら

わた)を天井に投げ打ち、その血痕

が近世まで残る。(「摂津名所図会」)

(堺幕府将軍・足利義維)

三好元長は室町幕府の将軍・足利義

晴(12代)を近江に追い払い、その

兄弟の足利義維をたて堺に幕府をひ

らく。(1527-1533)

顕本寺は、堺幕府の最後の地となる。

 

 

                顕本寺の三好元長公墓所

 

「麒麟がゆく」(顕本寺の駒)

顕本寺の住職・隆三隆達。

日蓮宗の僧で、顕本寺に住み還俗し、

隆三家にて薬を売る商いをしていた。

隆達は、小歌節をうたい、これが当

時大いに流行する。(文禄年間・15

93-1596)

その小唄の歌詞が粋である。

夏の夜を、寝ぬに明くるといふ人は、

物を思はぬか、物をおもはぬか。

ぬれてこそ、帰らう君は、朝露に、

我が袂(たもと)は、かわらぬ物を。

 

 

 

 

「麒麟がゆく」(32回)の成熟した駒。

室町幕府足利義昭と駒のゆかり地、

堺の顕本寺を訪ねる。

 

 

 

 

参考(メモ)ー室町幕府将軍ー

義澄(11代)|ー義晴(12代)ー|ー義輝(13代)

       |          |

       |          ー義昭(15代)…(最後の将軍)

       ー義嗣ー義栄(14代)

 

 

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