四天王寺の庚申堂。

全国的に流行した庚申詣り。

四天王寺(伽藍)から南に離れ

た地の庚申堂。

 

 

戦後75年の四天王寺庚申堂

 

 

戦争で焼失後に再建された庚申堂。

全国各地にある庚申堂の本寺で、

境内にはこれをまでの歴史を物語

る焦げた灯籠などがある。

 

(庚申堂前)

手水舎

手水舎に「明和5(1768)年戊子2月」と刻印。

 

 

               明和5(1768)年の手水舎

 

楠横の石灯籠

植樹記念碑がある楠の横の石灯籠に、

「奉起立庚申前 壬卯 元禄十二年

二月七日 分部隼人正源□信政」

と刻まれる。

 

百度石    

百度石は「天明三年九月」に建立。

 

 

天明3(1783)年の百度石 元禄12(1699)年の灯籠


常夜灯    

庚申堂前の常夜灯は「明治四十二年建立」。

  

 

明治42(1909)年建立の常夜灯

 

(庚申堂北側)

南無神変菩薩・七福神石像

境内北側に南無神変菩薩の石塔あり、

その前に七福神石像がある。

 

 

                庚申堂境内の七福神

 

 

移りゆく七福神。

その源。平安時代以後に大黒を台

所の神とした最澄により始まり、

室町時代に仏教・道教などが中国

から入り、福神が増してゆく。

当初大黒に他の神とあわせ三神と

なり、これが江戸時代以後に七福

神が揃う。

 

常夜灯

七福神付近にある常夜灯には、

「奉獻御寳前 天明二(1782)

年癸卯四月」

とある。

 

 

庚申堂境内(南のあべのハルカス側を見る)

 

(庚申堂西側)

観世音菩薩

庚申堂の西側に観世音菩薩像が

あり、像の台に庚申堂の由来が

記される。

文武天皇大寳元(701)年此の

地に帝釈天の使として、金剛童

子天降りて民部の僧都に傳禍為

福のために庚申待ちの御告げが

あった

これわが國庚申まつりの始であ

る。

ここに有竢(し)の人々はかつ

て本尊青面金剛の本地聖観世音

菩薩を造顕して永く諸人の繁榮

と福寿増長を祈願する爾云

昭和二十五庚子年十一月吉日

四天王寺 出口管長 徳風會有志

 

     

 

観世音菩薩像(昭和25年・1950年建立)

 

 

四天王寺庚申堂

コロナ騒動以前。

昨年6月に新西国霊場会発足90

周年記念事業「霊場巡拝」がも

たれた。

90年前の発足のとき、新たな霊

場めぐりの人気投票で1位に選ば

れたのが、荒陵山 四天王寺(和

宗総本山)だった。

この間に戦災で焼失した庚申堂

跡地に、日本万国博覧会(大阪

万博)の休憩所が移築され、境

内には焦げた跡を残す灯籠など

がある。

 

 

 

コロナ禍のなかで、庚申堂での法事に、

インターネットでも参列が可能である

という。

庚申堂から北の四天王寺南大門に向か

う。