大阪の松島遊郭にからむ疑獄事件。

疑獄事件は中央政界を巻き込む

事件に発展する。

 

松島遊郭

松島遊郭は、大阪の木津川と尻無川

にはさまれた地にあり、遊郭の開設

願い出があり、大阪府はこれを許可

する。

ときは、明治元年。

願い出た者有田徳一(広島藩士)、

新町遊郭の大垣屋、侠客堤仁三郎。

ときの知事は渡辺昇は、振興策とし

て設置を許可する。

 

 

       尻無川と木津川の間にある松島遊郭(竹林寺手前、摂津名所図会)

 

明治初期には遊女屋、茶屋など270

軒、東京の吉原にならい、松島橋と

梅本橋に大門があり、綺麗で壮観

であったという。

 

明治23(1890)年にミナミの大

火(新町焼き)で、江戸時代から

続いた新町遊郭は衰退する。

一方の松島遊郭は、大阪市電の築

港線、東西線の開通(明治41年)

で活況を呈する。

 

大正5(1916)年、娼家267軒、

娼妓4103人で、関西第一の遊郭と

なる。

 

 

            木津川右岸、竹林寺東の松鶴楼の松島遊郭

 

松島遊郭疑獄事件

大阪市街の開発が進み、松島遊郭

の移転の必要が出てき、移転地を

めぐる疑獄事件。

贈賄者は不動産会社経営者。

収賄者は憲政会の箕浦勝人、政友

会の岩崎薫ら。

 

1926年2月28日、箕浦勝人の配下

に属するものが大阪地方検事局に召

喚される。

ついで、箕浦が起訴される(4月30

日)。

さらに、首相若槻が証人として召喚

される。(11月7日)

事件は中央政界を巻き込む。

その結果、事件発覚から2年5ヶ月後。

1928年7月31日、控訴審判決で、

箕浦らに直接接触をもった平渡ほか

1名が懲役1年6ヶ月、ほかの政党幹

部はすべて無罪となる。

 

 

    竹林寺手前(東)の松島遊郭跡周辺の松島公園(大阪市西区千代崎1丁目)

 

憲政会と政友会

ー松島遊郭疑獄事件ー

事件と衆議院。

昭和2年1月、衆議院(第52議会)で

政友会の小川平吉らが質問。(1月1

8日)若槻内閣不信任案が上提、同月

3日間の停会の詔勅がだされる。

同年昭和2年4月金融恐慌が勃発し、

若槻内閣は退陣する。

松島疑獄事件は、箕浦勝人は憲政会

の領袖で、政友会の田中義一、政友

本党の床次竹二郎らは、朴烈事件と

ともに若槻内閣倒閣の具にした。

金融恐慌が退陣の原因となった憲政

会の若槻内閣。

 

松島遊郭疑獄事件は、大正から昭和

に移る時代の政権抗争にからむ遠因

となった事件のひとつである。

 

 

 

 

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