大阪の天王寺公園には、池上四郎市長

の銅像が建っている。

大阪市長を歴任した池上は、この度の

台風で大きな被害を受けた福島の出身

である。

 

 

ー池上四郎と大阪ー

池上四郎(1857-1929)は、会津藩士の

として誕生。11歳のときに会津若松城が包

され、砲弾を打ち込まれる。四郎は、仲間

唐人凧をあげ、自軍の士気を鼓舞したとい

う。

開城後、再興を許され、開拓農民として暮ら

し、のち横浜で勉学。

その後、警察官になり、千葉県、京都府の

察部長をつとめ、1900(明治33)年に大阪

府警察部長となり、13年間、大阪の治安にか

かわる。この間、高崎親章知事の汚職疑惑を

放置したと、宮武外骨に批判される。

 

ー市長池上四郎ー

3期10年(1913-1927)、大阪市長をつ

める。

池上は財政再建の一方、電気・水道事業、

阪港の建設を整備し、大大阪時代初期まで大

阪市政を担う。

1915年、天王寺動物園を開園、

1919年、全国初の児童相談所・公共託児所

を開設。

1923年、電気供給事業を市営化(大阪電灯

株式会社を買収)

1923(大正12)年9月、関東大震災。

関東大震災のとき大阪港より支援物資を東

京に送り、被災者の救済を行う。

 

池上は、都市計画の必要性を痛感し、助役

の関一(せき はじめ)を委員長とし、御

堂筋を拡張する都市計画事業を進める。

 

住宅不足を解消するため、農村を開発し、

通勤の便利をはかり、自動車道路と地下鉄

をつくり、梅田、難波、天王寺で私鉄をつ

なぐ構想である。

 

         

大正12年、大阪鉄道の大阪天王寺駅(現阿倍野橋駅)

 

また、池上市長は市庁舎の新築、博物館や

図書館などの教育施設や病院の整備など、

社会福祉の充実につとめる。

 

ー池上四郎と銅像ー

退任後、朝鮮総督府政務総監として朝鮮半島

へ赴任(1927年)。

つづく、後任の関市長のときに大大阪時代を

迎える。

池上は、1929年に病に倒れ、東京で永眠。

天王寺公園の池上の銅像は、大阪市民の手

で、昭和10(1935)年に建立される。

太平洋戦争のとき、この銅像は金属供出によ

撤去(1942年)されたが、戦後の市政70

周年を念して再建される(1959年6月・昭

和34年)。

 

 

ちなみに池上四郎の六女・紀子は、内閣統計局

長になる川嶋孝彦と結婚する。

その孫が秋篠宮文仁親王妃紀子で、彼女は池上

四郎の曽孫にあたる。

池上四郎の墓は四天王寺にある。

 

 

 

 

 

2019.10.14

熊取の地車祭ー新大阪物語(692)。