3年つづいた大雨の映画「天気の子」

は、東京を埋没させ、江戸の頃のと

きに戻った。

これと結びつけ、江戸のときに描か

れた絵をみてみる。

 

歌川国芳

浮世絵師・歌川国芳(1798ー1861)。

戯画作家として世に知られる国芳。

国芳が描いた浮世絵の戯画「人をばか

にした人だ」。

 

戯画「人をばかにした人だ」

 

 

                                 歌川国芳「ひとをばかにした人だ」

 

男の顔には、裸の男が何人もがおる。

画にある賛に国芳は

人の心はさまざまなものだ。

いろいろ苦労して、ようよう一人前

になった。

 

と記す。国芳45歳のとき、水野忠邦

による天保の改革があり、人情本、艶

本を取り締まり、浮世絵、役者絵、

人画は禁止となる(1842年)。

国芳は、病で文久元年に生涯を閉じる

(1861年)。

かれの弟子に河鍋暁斎がいた。

 

河鍋暁斎(1831-1889)

国芳の後継者・河鍋暁斎(かわなべき

ょうさい)。

安政2(1855)年の江戸大地震の翌日、

暁斎は仮名垣魯文と組んで出版し、鯰

絵(なまずえ)「老なまづ」は好評を得、

これを契機に錦絵を描いていく。

 

鯰絵「老(おい)なまづ」

 

 

        大判錦絵・鯰絵「老なまづ」(安政5(1858)年10月)

 

江戸時代に地震はナマズが起こすと

考えられた。

幕末に、庶民は、物価高で政治不信

が高まるなか悪政によって地底のナ

マズが怒って地面を揺らすとかけ、

時代を風刺したこの鯰絵は大人気と

なる。

 

地獄太夫(明治4年

暁斎は、美人画などに、戯画のここ

ろをもってこれを描いている。

 

 

髑髏(どくろ)の上で踊る一休と

堺の遊女・地獄太夫。

後ろの屏風の絵図は地獄で、暁斎

の絵には一休和尚のひとは死ぬと

骸骨になるという死生観に通じる

ものがある。

 

達磨の耳かき図(明治4年)

 

 

美しい太夫に達磨禅師。

達磨大師は美女の耳かきで、ふや

けており、暁斎は聖俗を逆さまに

描いている。

 

「富士越しのナマズ」(暁斎漫画・明治14年)

時代は、令和にかわり天変地異。

ときは約150年前にさかのぼり、江戸

から東京に移る。

 

 

 

富士山を背景に、大きな鯰に猫が乗っ

ている。幕末のときに、地震の象徴だ

ったナマズ。

明治にはいり、ナマズは黒い服を着て

鯰髭をする官吏を指し、猫は、三味線

の皮となり芸者を示し、地上には洋館

が見える。明治の東京の風景を描き、

待合政治を風刺している。

 

幕末から明治前期に活躍した河鍋暁斎。

国芳に弟子入りした暁斎は、戯画の精

神を、美人画などの錦絵のなかにとり

いれている。

河鍋暁斎は、江戸の浮世絵師の魂を晩

年まで持ち続け、明治22(1889)年

に永眠、享年59歳。

 

 

 

2019.9.12

時代(「発禁」)ー喜多川歌麿(「河童と娘」)と橘小夢(「水魔」)ー男と女の物語(29)