大阪の愛珠幼稚園には、江戸時代の銅座

跡がある。銅座は銅の管理をおこなう場

所で、大阪はかつて、銅の精錬業の中心

地で、住友財閥とゆかりがある。

 

 

銅座跡がある愛珠幼稚園(大阪市中央区今橋3丁目1-11)

 

住友銅吹所

ー住友政友、業祖は曽我理右衛門ー

住友の家祖は住友政友、業祖は曽我理右衛門。

住友政友(越前より京にて薬屋)は、京で銅吹

の店を構えていた理右衛門の知以(ともち)を

娘婿にする。

住友を相続した友以は、泉屋理右衛門と名乗り、

船場淡路町、長堀、鱧谷で実父の精銅をしてい

た。

寛永年間(1640年頃)、友以による島之内の

住友銅吹所は、日本最大の銅精錬所であった。

 

 

 

銅を精錬した住友銅吹所跡(大阪市中央区島之内1丁目6-7)

 

幕末・明治と住友

ー広瀬宰平・伊庭貞剛ー

幕末・維新のとき、大坂の豪商が没落すなか、

広瀬宰平は、五代友厚に指導され、別子銅山の

売却に反対し、経営の危機を乗り越える

広瀬は五代の商法会議所、大阪株式取引所の設置

立に協力し、初代副会長となる。

広瀬は徳大寺隆麿を住友家の婿養子にむかえる。

隆麿は公家出身で、実兄が西園寺公望(首相を歴

任)で、第15代住友知純となる。

 

住友の二代総理事の伊庭貞剛(いばていごう)。

広瀬宰平の甥の伊庭貞剛は、明治15年に大阪紡績

の設立に参加し、2年後大阪商船を設立し、別子銅

山の精錬所移転など銅山改革をおこない、明治28

年に住友銀行を設立する。

 

住友は、明治政府の富国政策のなかで、財閥のかた

ちをつくっていく。

 

銅の住友と住友財閥

江戸幕府のとき、銀商であった住友。

明治41年には、全国第1位の資産を有し、財閥の

仲間になる。

太平洋戦争後、GHQにより、財閥解体を余儀なく

され、住友銀行は大阪銀行と名をかえて再出発する。

昭和27年4月、平和条約発効に伴い、住友銀行に復

帰する。

現在、中之島の土佐堀通には住友ビル、住友三井銀

行がならぶ。

 

 

 

 

2019.6.25

大阪の福沢諭吉ー適塾(緒方洪庵)と福沢諭吉ー新大阪物語(653)