大阪の南の繁華街、天王寺駅周辺。
天王寺公園、動物園、通天閣(新世界)がある。
その南に遊郭だった飛田新地があり、
西隣の釜ケ崎と呼ばれる地に西成警察署がある。

西成警察署と公園
飛田新地から西成警察署にゆく。
幾通りもあるゆく道。
飛田新地のそばの今池本通商店街を
西にゆくと今池駅(阪堺電車)前にでてくる。

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               阪堺電車の今池駅

道路を渡り、ガードをくぐると、萩之茶屋本通商店街。
商店街を通り、広い道路にでる。

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                萩之茶商店街本通

右におれると西成警察署、左に折れると三角公園の道。

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西成警察署裏には公園(萩之茶屋中公園)があり、向かいに西成市民会館がある。
公園には、たくさんのひとが並び、何かを待っている。
休日の昼前の公園。

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   警察の裏(西)の公園前ホテル(一泊1400円、1ヶ月39800円、大浴場あり)

西成警察署から三角公園(萩之茶屋南公園)にゆく。

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       幾つものテントがある三角公園とあべのハルカス

公園の角にテントがあり、緑のジャンバーを着た
2人ボランティアの方が座っていた。


ー釜ヶ崎と西成騒動ー
昭和36(1961)年8月1日。
飛田新地の西隣の日雇い労働者の町、
釜ヶ崎で暴動が起こる。(第一次西成騒動)
翌日の朝日新聞による。
日雇い労働者がタクシーにはねられた。
現場に到着したのが1時間後、即死と断定、
救急車は20分後に到着。この間、死体を放置したまま現場検証、
黒山のひとだかりとなり、警官への怒り爆発。
翌2日未明まで、暴動に発展し、西成警察署を包囲し投石する。
パトカー、付近の駐車の車を横転させ、アパートに放火する。
2日夜、1万人あまりが暴徒化する。
これに、大阪府警は6千人の警官隊を動員し、鎮圧にかかる。
大阪地裁は騒乱罪の適用を検討、大阪府警は扇動者根絶に
長期決戦の方針を決める。
3日夜も騒ぐ、群衆が5千人。
3日間つづいた暴動で、28人を逮捕し、
労働者が数十人、警察官約百人が負傷した。

ー「釜ケ崎」から「あいりん(愛隣)地区」ー
この事件は、国会でもとりあげられた。
が、その後も釜ケ崎で暴動はくりかえされる。
釜ヶ崎地区の呼称が行政により「あいりん(愛隣)地区」
とあらためる。(昭和41年・1966年5月)
暴動事件は、この事件にはじまり、これまで24回に及ぶ。

参考(メモ)
釜ヶ崎ー飛田新地(「米騒動」)と西成警察署ー
今宮村は、もとはのどかな農村地帯であった。
釜ケ崎の起源は紀州街道沿いにあった長町にあり、
江戸時代後期に長町に無宿人が多数居住していた。
明治にはいり、市内(現在の浪速警察の北)の木賃宿の
営業を禁止され、長町の住民が南に移り、さらに新世界で
内国勧業博覧会が開催されたため、
南の今宮村字釜ヶ崎に移り住むことになる。
飛田新地が開業されたのが、大正7年。
開業6年前に、難波新地の遊郭が火災にあい、
その代替え地となったのが、飛田新地。
同年、大正7年に富山の一漁村で米騒動が起こり全国に波及、
大阪での暴動は、釜ケ崎の木賃宿住人2700人など
による蜂起からはじまる。西成警察署の地は、明治初期、
西成郡今宮村の一部であった。大正14年に大阪市に編入され
大阪市西成区海道町となり、昭和48年に萩之茶屋の一部となる。


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     西成警察署(大阪市西成区萩之茶屋2丁目4-2)


2019.5.27