大阪の福島聖天了徳院。
JR環状線の福島駅より商店街を通り、
福島聖天にゆく。
 
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        福島聖天了徳院(大阪市福島区鷺洲(さぎす)2丁目)
 
浦江の福島聖天
通称「浦江の聖天さん」と呼ばれ
いた大阪浦江福島了徳院。
古来、伏見宮の祈願所で、本堂に十
一面観世音菩(大聖歓喜天)が祀
られている。
「浦江」が海岸だった頃に、漁師の
網にかかり現したと伝えられ、子
宝、縁結びを願う信仰に支えられて
きた。
 
福島聖天に通じる参道には商店街が
ある。
 
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  海中よりの歓喜天を安置する元文4(1739)年中興の寺院(創建は不明)
 
福島聖天と「杜若」
福島聖天の地には、かつて幾つか
の水路が流れ込み、境内の水辺に
杜若(カキツバタ)が群生し、
花の時期には参拝客が訪ね、松尾
芭蕉も門弟と訪れ、この地で歌を
残している。
 
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     芭蕉の句碑杜若 語るも旅の ひとつ哉」がある福島聖天の池     

 

福島聖天と日下義禅
大正時代。
かつて日下義禅が住職をしていた。
日下義禅は、東寺真言宗派の管長
(第253代)を歴任し、兵庫県の
宝塚に、福島聖天の別院・宝塚聖
天を建立している。
 
日下義禅と福島聖天の別院・宝塚聖天
日下義禅は、宝塚聖天建立に際し、
阪急の小林一三と共同で宝塚ホテ
ルを建てた平塚嘉右衛門に協力を
得て、信徒とともに福島聖天の別
院を建立する。(大正8年)
宝塚聖天建立の頃、日下義禅は、
池田市石橋の地に、弘法大師の
民学校(京都・綜芸種智院)開設
にならい、池田市石橋の地に宣真
学園の創設に力を注ぐ。(大正9
年創立)
 
日下義禅と酒井栄蔵
日下義禅を尊崇していた酒井栄蔵。
酒井栄蔵は宝塚聖天ができた年、
同年なくなった義父の小林佐兵衛の
「慈狹堂」を建立する。(大正8年)
小林佐兵衛(1830-1917)は、
司馬遼太郎の小説「俄ー浪華遊侠伝」
のモデルである。
酒井栄蔵は、小林佐兵衛の北小林若
中二代目になる。
 
酒井栄蔵と大阪市電争議
大正から昭和初期にかけて労働争議が
頻繁にあった。
当時の新聞記事には、仲介者として
酒井栄蔵の名がよくでてくる。
 
大正13年に大阪市電大争議があった。
7月3日から11日にかけてのストライ
キで、市の回答拒否から2日後、酒井
栄蔵の調停により、闘争が終結する。
 
このとき、酒井栄蔵は直ちに高野山に
登山して、高野山に集結した二千の争
議団を下山せしむることになる。
 
昭和初期の労働争議の調停役として、
酒井栄蔵は、大阪市電大争議はじめ、
岡山県宇野港三井物産造船工場の大
争議、大阪府下大正村の小作争議、
鐘紡及び東洋モスリン会社争議を調
停し解決する。
 
「浦江名所のかきつばたの里」と日下義禅
芭蕉の句碑と並んで、朱色の灯篭の
横に石碑がある。
 
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「浦江名所かきつばたの里」の石碑に大阪了徳院義禅代
 
池の傍の「浦江名所かきつばたの里」
の石碑。
浦江名所の石碑の裏面には、「大正
十四年四月 大阪了徳院義禅代寄附
北濱四 吉見性」と刻印されている。
 
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「浦江名所のかきつばたの里」の石碑
 
 
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うらえ杜若(芳雪画)
 
大阪の名所浦江の福島聖天了徳院には、
明治,大正、昭和を生きた義侠・酒井栄
が尊崇する日下義禅和尚が住職をし
ていた。
 
 
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