大阪の池田。
池田市は、朝の連続ドラマ「まんぷく」
の舞台の地である。
かつて「てるてる家族」でも放映され、
「朝が来た」とゆかりある建物もある。
 
「てるてる家族」と池田城跡公園
朝ドラ「てるてる家族」(2003.9-2
004.3)。
なかにし礼の原作「てるてる坊主の照
子さん」をもとに、大森寿美男の脚本
チキンラーメン開発を題材としたエ
ピソードを池田駅前の栄町商店街を舞
台に挿入されている。
 
記念碑がある池田の池田城跡公園
 
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公園の「てるてる家族」の記念碑
 
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池田城跡公園から一望できる
池田の街
公園から山をくだり、猪名川に架かる
呉服橋に通じる広い通りに出る。
 
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呉服橋東詰には芝居の呉服座、落語
ミュジアムがある。
 
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ー広岡浅子と加島銀行ー
旧加島銀行池田支店の建物の河村
商店がある。
旧加島銀行池田支店は「朝が来
た」のモデルの広岡浅子が、明治
のときにに創業した加島銀行の支
店になる。
 
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        敷物と白衣の河村商店(旧加島銀行池田支店)
 
広岡浅子は、京都の豪商三井家の次女
で、17歳のときに大阪の鴻池と並ぶ両
替商の加島屋の新五郎(25歳)に嫁ぐ。
21歳のとき、明治維新にあい、家業を
整理し、炭鉱事業を開拓し、明治21(
1888)年に加島銀行を設立した。
加島銀行池田支店は、大正7(1918)
年に建てられ、辰野金吾が設計にかかわ
る。
 
安藤百福(1910-2007)
「まんぷく」のモデル安藤百福。
百福は、台湾の台東県東石郡朴子街
で生まれる。
明治43(1910)年)が誕生の年。
日本が台湾を領有して15年経ち、
日本は韓国を併合し、軍事大国に進
むときであった。
 
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安藤百福銅像
 
幼少の頃、両親を亡くし、祖父の仕事を
手伝い、商売の取引の機微を身につける。
 
昭和7(1932)年、22歳のとき、台北
市に会社・東洋メリヤスを設立(1932)
し、日本内地から製品を仕入れ、商売は
大成功する。
日本からいくら製品を仕入れても間にあ
わず、翌昭和8年、日東商会(唐物町2丁
目、現在の久太郎町1丁目あたり)に問屋
業務を始めた。
日本一のメリヤス業者「丸松」などと組み、
特注品を仕入れる。商品は飛ぶようにして
売れ、若くして財を築く。
昭和9年(1934)年、社長業のかたわら
夜間に学び、立命館大学(専門学部経済
科)を終了する。
 
加島銀行池田支店と安藤百福(池田)
昭和12年・1937年
加島銀行は昭和恐慌のあおおりで
廃業する。
昭和20年3月百福は仁子と結婚後、
泉大津で製塩業を営み、病院用栄養
食品を開発する。
昭和23年、脱税容疑で逮捕され、
巣鴨プリズムに収監される。
昭和24年、仁子ら家族、池田市呉
服町の借家に転居。
昭和25年12月、2年間の収監後、
無罪釈放となる。
昭和26年11月、信用組合の理事長
に就任。
昭和32年百福が理事長していた信用
組合が倒産、再び財産没収で無一文
に。
池田市呉服町の自宅でチキンラーメ
ンの開発に着手。
加島銀行廃業後、旧加島銀行池田支
店は、昭和40年代に購入した「河村
商店」が所有し、現在に至る。
 
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2019.14