「まんぷく」(第11週)
「まんぷく」(第11週)の「まんぺい印
ダネイホン!」)。
ときは、昭和22年の暮れ。
萬平さん(長谷川博己)は、栄養食品の
売の進出のために、東京にゆく。
そして、翌年の2月初旬。福ちゃん(安
藤サクラ)がラジオで「萬平印のダメイ
ン」を宣伝放送することになる。
 
戦後の日本
焼け野原のなかでの戦後を描く「まんぷ
く」。同じ頃のときにあった政界・財界
の事件を通して、人とひとのめぐり合わ
せをみてみる。
 
 
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昭和20(1945)年8月15日、戦争終結の玉音放送
 
昭和23(1948)年・昭和電工事件
日本は敗者となり、連合国の占領下と
る。
終戦から間もない昭和23年に、贈収賄
職事件が起こる。
昭和電工の社長(日野原節三)が復興
金として融資をえるために政府高官など
対する贈収賄が発覚する。
警察の捜査のなかで、財界と政界だけで
なく、GHQの職員もかかわり、三つ巴
汚職であったとわかる。
ところが、その後の捜査
は、警察から検察に移り、GHQへの関与
の疑惑は消えることになる。
 
昭和電工事件と芦田内閣総辞職
日野原社長の逮捕(6月)後、福田赳夫
大蔵主計局長が10万円の逮捕(9月)に
はじまり、大野伴睦(自民党顧問)、
栖赳夫(経済安定本部総務長官)、西尾
末広(前副総理)が逮捕される。
そして、芦田均内閣は総辞職(10月)し、
民主自由党の吉田茂内閣にかわる。
その後に芦田均(前首相)も逮捕されるが、
裁判では、来栖赳夫以外の政治家は全員無
罪となる。
 
福田赳夫と安藤百福
「まんぷく」のモデル安藤百福。
安藤百福は、田中龍夫を通じて、福田赳
夫(群馬県出身)と知遇になる。
福田は、百福を「すっぽんのような男で、
いったん喰らいついたら離さない」とい
い、パーティの席上で「私は安藤さんの
会社の営業部長です。」と挨拶するのが
常だったという。
 
事件後の福田赳夫
無罪となった福田赳夫。かれは、昭電
疑獄で逮捕されたあと大蔵省を退官す
る。のち昭和27(1952)に衆議院議
員となり政界にて、三木武夫内閣の経
済企画庁長官、中角栄内閣の大蔵大
佐藤栄作内閣の外務大臣を歴任する。
そして、「明治38歳」(71歳)にして
、三木武夫後任の第67代内閣総理大臣
となる。
首相退任後、「昭和の黄門」を自認し、
森喜朗(よしろう)、小泉純一郎を育て
る。
森喜朗は首相(1900-1901)を歴任、
小泉純一郎は、福田邸に住み込み秘書
を経て首相(2001.4-2006.9)となる。
福田は、1990(平成2)年に政界を引退
し、派閥を安倍晋太郎に譲り、長男の福
田康夫(のち首相2007.9-2008.9)が
継者となり、政界に入る。(40歳)
 
安藤百福と人とひとの縁
人の人とのめぐりあわせ、ひとのつなが
りに、人脈に不思議さを感じる。
安藤百福は戦後すぐ、叔父を通じ久原房
之助に相談し、不動産をはじめる。
これを機に田中龍夫の選挙協力し、佐藤
栄作、岸信介と面識になる。
また、田中龍夫の関係で福田赳夫・康夫
と親しく、小泉純一郎とも親交を深める。
こうして、百福は政界の人とつながり、
人脈があった。

 

 
大阪の安藤百福と「まんぷく」
2018.11.25
2018.12.1
2018.12.4