京都の熊野若王子神社。
京都の東、若王子山にあり、平安時代に創建され、
南には永観堂(禅林寺)があり、哲学の道の北に銀閣寺がある。

ー神社と後白河上皇ー
熊野と名がある若王子(にゃくおうじ)の神社。

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           熊野若王子神社(京都市左京区若王子町2)

社は平安時代に創建。
後白河上皇により紀州熊野三所権現の分霊を
この神社に勧請(かんじょう)する。(永暦元年・1160年)

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          熊野若王子神社

神仏習合のときには、「若王子」と呼ばれていた。

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    禅林寺(永観堂 )            禅林寺の鎮守社・若王子の碑

ー花見の名所と銀閣寺(足利義政)ー
足利尊氏、足利義政の頃に花見の名所として知られ、
花見の宴を催している。

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     足利義政の銀閣寺(慈照寺)      桜の名所・熊野若王子神社

応仁の乱で社殿は荒廃する。

イメージ 5ー荒尾精(東方斎)の寓居跡ー
鳥居の前に、荒尾精(東方斎)の寓居跡に石碑が建てられている。荒尾精は、日清貿易研究所の設立者で、清国に対する領土割譲要求に反対し、日中提携によるアジア保全を唱えた明治の先覚者である。
ー社領地と同志社墓地・市営墓地ー
神社の前に新島襄の墓地の参道がある。明治23年、新島襄が亡くなり、襄の父が眠る京都南禅寺に葬るところ、条件が厳しく困っているところ、当時の宮司が、
これを聞き、「山の頂上だが、葬れるのでは」と申し出、埋葬された地がのちの同志社共同墓地である。



当時裏山三山が熊野若王子神社の社領地であった。

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          若王子神社墓所と同志社共同墓地の境界

昭和3年に政府より不要な土地の返還要請に伴い、
同志社の共同墓地以外、京都市営墓地となり、
約650人以上の市民が眠っている。

ー熊野若王子神社ー
京都三熊野のひとつである、(他の2つは、熊野神社、新熊野神社)。

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     熊野若王子神社から銀閣寺に通じる琵琶湖疎水沿いの哲学の道

神社は琵琶湖疏水沿いの哲学の道の起点で、この付近は
外国の観光客で賑わっている。

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4月11日