京都の町は歴史があり、はじめ
て訪ねた社寺にゆき、そこで思
いがけないことを知ることがあ
る。
京都の熊野神社もそのひとつで、
この地は和菓子で知られた八ツ
橋の発祥地であった。
熊野神社(京都市左京区聖護院山王町43)
聖護院の熊野神社
京都の熊野神社は聖護院山王町に
あり、聖護院の地名は、野菜の名
に聖護院と付けた聖護院大根など
で知られている。
後白河天皇の子が、宮門跡として
入寺して以降に皇室・摂家より門
跡となり、仮皇居にもなっている。
熊野神社(本山修験宗本山)
熊野神社は、聖護院の森の鎮守
として、後白河天皇によって創
建され、「京の熊野三山」(残
り2つは若王子神社、新熊野神
社)のひとつとされている。
熊野神社と八ツ橋発祥の地
熊野神社境内には、八ツ橋発祥
之地の石碑と西尾為治の銅像が
ある。
八ツ橋発祥之地の石碑と西尾為治の銅像
「京に八ツ橋あり」
八ツ橋の名の由来は、箏曲の祖・
八橋検校を偲び琴の形を似せたも
のだといわれたり、また「伊勢物
語」(第9段)の「三河国八橋」
にちなむとする説がある。
西岡為二(明治12年-昭和37年)は、
山城国愛宕郡聖護院村に生まれる。
彼は、84年の生涯を元禄の頃からの
古法を基調に改良を重ね、「京に八
ツ橋あり」の名声を広げ、八ツ橋中
興の祖といわれている。
平安遷都1200年を記念し、「聖護
院の森」に、石碑と銅像を建立され
る。
なお、熊野神社は、大正元(1912)
年に市電丸太町線の開通、昭和元(
1926)年の東大路通の拡張などに
より、現在の社域となる。
八ツ橋は現在十数社が製造しており、
京都を代表する和菓子のひとつとして
知られている。
元禄の頃、聖護院の森の黒谷(金戒
光明寺)の参道の茶店で売られたの
が始まりで、明治時代に京都駅での
販売を契機に人気となり、戦後に「
生八つ橋」が考案される。
「夕子」という名の八ツ橋があるが、
これは水上勉の小説「五番町夕霧楼」
の夕子から名をとったそうで、この
たびあらたに知ることになった。
2月27日
新京都物語(152)