「西郷どん」の西郷隆盛。
西郷は、江戸にゆき、水戸藩の藤田東湖
と会う。
このとき大地震が起こり、手塚良庵も同
じくこれに遭遇する。
「陽だまりの樹」と手塚良庵
「西郷どん」と同時代を描く手塚治虫の
漫画「陽だまりの樹」。
主人公の手塚良庵は、手塚治虫の曽祖父
で、手塚良庵は藤田東湖と会い、江戸大
地震にあう場面がある。
「徳川の世はこの陽だまりの桜の樹のようなものじゃ…」
西郷隆盛
嘉永5(1852)年。
西郷は、須賀と結婚するが、祖父、父、
母があいつで死去する。
翌年、嘉永6(1853)年。
吉之助から善兵衛(ぜんべえ)に改名
する。アメリカ提督・ペリーが浦賀に
来航し、幕府に開国をせまる。
西郷隆盛と藤田東湖(水戸藩)
安政元(1854)年。
西郷は、藩主・斉彬の参勤交代の中小
姓の列に加わり、江戸に到着する(3月
6日)。
友人の御小納戸・福崎七之丞の推薦もあ
り、斉彬の密事や情報収集などを取り扱
う庭方役を命ぜられる。
4月10日
西郷が水戸藩・藤田東湖と出会う。
樺山三円(資之)の案内で、小石川後楽
園の水戸藩邸に徳川斉昭の補佐役・藤田
東湖を訪ねる。
西郷は江戸にはじめて出て、当時一流の
学者・藤田東湖と会え、その感激を母方
の叔父に
『心中一点の雲霞(うんか)なく、ただ
清浄なる心に相成り、岐路を忘れ候次第
に御座候。
彼の学問は終始忠義を主とし、武士とな
るの仕立てにて、学者風とは大いに違い
し、申し候』
と手紙を送っている。
安政の大地震
安政2(1855)年10月2日夜、
江戸に直下型の大地震が起こる。
倒壊家屋1万4千戸、使者7千余人、
江戸城や諸大名の藩邸・民家・社寺
など大きな被害を出す。
安政の大地震
ー藤田東湖と西郷ー
藤田東湖は、このとき、小石川の水戸
藩邸にいた。
母親の梅を救助しようとして、東湖は
屋内に戻り圧死する。
東湖は49歳であった。
大地震の翌々日。
西郷は、東湖の死を知る。
『去る二日の大地震には、誠に天下
の大変にて、水戸の両田(藤田東湖、
戸田忠太夫)もゆい打ちに逢われ、
何と申し訳なき次第に御座候。
噸とこれ限りにて、何と申す口は御
座
なく候、ご推察さるべく候』(10月
4日付)と、1年半の指導と手厚い保
護をうけた藤田・戸田の急死を、西
郷は、天下の大変と驚き、在藩の同
志たちに告げた。
「陽だまりの樹」
漫画「陽だまりの樹」は、幕末から
明治維新まで生きた手塚治虫の曽祖
父・手塚良庵の生涯を描かいている。
良庵(常陸国)は、江戸から、福沢
諭吉と同じ年に、大坂の適塾に入門
し、緒方洪庵を師として学ぶ。
大阪から江戸に戻った良庵は医師と
して、江戸お玉が池に種痘所の(現
在の東京大学医学部の前身)開設に
つとめた。
明治にはいり、手塚良庵は維新政府
の軍医となり、明治10年の西南戦
争に従軍し、赤痢にかかり永眠、享
年51歳。
2月14日
「西郷どん」(「幕末」)ー最初の妻(須賀)と幕末(「黒船来航」)ー