大河ドラマ「真田丸」の舞台、真田
山にゆく。
大坂城の南にあって、400年前に
は大阪陣の真田丸の砦があり、70
年ほど前に、陸軍騎兵営がここにあ
った。
 
現在、この真田丸跡を通る路両脇に
寺院が100mつづく南端に「
第4聯隊之歴史」の史跡がある。
 
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正面右に騎兵営址(大阪市天王寺区真田山町5-70)

 

 
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七〇年前以前にさかのぼった当時を
知ることができる
 
 
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明治18(1885)年頃の真田丸出城付近
 
 
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騎兵第4聯隊歌の一番
東に生駒の山高く      
西にチヌの海眺め
軍馬のいななき勇ましく
集う八州の健児なり 
その名も高き桃山に   
聞かずや高くうたわるる
錦城騎兵四聯隊
 
錦城は大阪城の別の呼び名。
戦争が起こったとき、家族はじめ
これからさきに不安がよぎったと
思う。
忠魂碑にも記されているが、この
信じがたい事態に直面し、戦争に
従軍したひとびとは国のために死
力を尽くして戦った。
 
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碑文末にこの忠魂碑創建の目的が
されている。
『勝敗の如何に拘らず、死線を超
え不思議に生還した我々に今は何
の悔いもない。
しかしながら不運にして病死され
た勇士、亦帰還後亡くられた方々
お心を察するとき、我々は、国
民各位と共に深く犠牲者に感謝し、
その名誉を称え、み霊に対し奉り、
とわの安らかなる眠りにつかれん
ことを心から祈念するものである。
 
騎兵第四聯隊関連諸部隊有志
昭和60年11月3日 大阪騎兵会 
永代供養 三光神社』
 
 
兵第4聯隊之歴史ー
史跡の碑文は長文のため、超要約し
て記す。
騎兵第四聯隊は、もと真田山公園
域にあり、明治22(1889)年に
大阪のこの地に帝国陸軍の大隊が編
成された。
日清戦争、日露戦争を経て、昭和1
2年に米国の日本への経済封鎖が強
まり、支那事変、大東亜戦争に突入。
猛訓練に耐えた騎兵隊員は、史上に
残る戦闘に参加した。
昭和18年9月南方に出動、昭和2
0年タイに進駐するが、戦争の終結
となり、騎兵第四聯隊は歴史の幕を
閉じた。
 
70年前あたりになると、戦争の悲
惨さを実感しないでおられないが、
不思議なことに、何百年前の描かれ
た戦さのドラマでは、娯楽として楽
しむことができる。
 
 
5月19日