東京の大隈重信邸にゆくふたり、
あさ(波瑠)と新次郎(玉木宏)
が女子大学設立の協力を依頼する
と、大隈夫人・綾子(松坂慶子)
「勝負に勝ったら」と言う。
 
勝負は相撲ではなく囲碁だった。
大隈がタコと相撲をとる漫画で
風刺されてから、相撲が嫌いで、
あさとは囲碁での勝負だった。
 
 
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結果はあさが勝った。
新次郎は大隈夫人に「わざと負け
はったんでは」と声をかけた。
大隈夫人は、これまで
「内助の功で初めて負けると思っ
たのが、新次郎さんだ」
と言葉を返した。
 
大隈重信と綾子
大隈重信と広岡浅子
浅子は大隈重信から募金方法につ
いて「早稲田大学は広く天下の大
衆に募金を募る。女子大は、財界
有力者中心にすれば、成功率が高
くなる」と助言を得る。
大隈重信の弔辞では、浅子を「男
子も及ばない」活動で、「二十
有余年の間、ご交際いたしました。
」と述べる。(大正8年1月)
 
大隈綾子と広岡浅子
日本女子大学創立に賛同する夫人
が、政界、財界に多数いたが、そ
の一番に重信の妻綾子がいた。
加島銀行が経営不振のとき、誰も
が浅子を敬遠するなか、綾子は、
渋沢栄一男爵のお知恵を拝借な
さっては」と、浅子に協力をつづ
けていた。
 
新次郎のモデルは浅子の夫広岡
信五郎
大隈重信を支え、「内助の功」
で知られた綾子夫人。
「内助の功」の新次郎の妻あさ、
寄附集めは、順調にいかなかった。
 
東京の成澤からお詫びの手紙
大阪のあさに届き、大隈邸では、
縁談相手の一柳が「申し訳ない」
と大隈夫人に頭をさげている場
面で、明日につづく。
 
 
「あさが来た」と相撲(大隈重信)
明治14年の政変ー世論と新聞ー
 
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        大隈重信下野の大相撲風刺画。(「団団珍文」234号)
 
ところは、東京場所。
土俵で、窮地におちいったタコ(黒
田清隆)が開拓使官有物払下げを断
念し、俵にふみとどまる。
手をかえ、タコは土俵の数(薩長派
)でクマ(大隈重信)を「民権派と
結託し、政府乗っ取りを策謀」と
弾し、追放(土俵外)。
数の後ろ立てのタコ(黒田清隆)に
力負けしたクマ(大隈重信)。
 
伊藤博文らに辞職を求められたとき、
大隈重信は速やかに政府を去った。
このとき、明治6年の政変での西郷、
工藤のようにならず、政府の要人は
安堵した。
ところが、翌明治15年立憲改進党
を結党し、君民同治を説いて、イギ
リスの立憲君主制を主張。
明治31年薩長藩閥中心だった内閣を
引き継いで、大隈重信は内閣総理大
臣に就任。
 
 
3月14日