門戸厄神と旧西国街道沿いの厄神参道
大阪から兵庫の門徒厄神に参る。
西宮市の門戸厄神は「厄神さん」
呼ばれる。
「厄神さん知って東光寺知らず」と
語られるほど「厄神さん」は厄除の
神様として信仰されている。
 
東光寺(厄神さん)
ここは、正しくは松泰山を号とする
東光寺で、高野山真言宗の別格本山
で、本尊が薬師如来像。
東光寺は西国薬師如来霊場第20番
札所でもある
 
 
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兵庫県の門徒厄神(西宮市門戸西町)
 
兵庫県の門徒厄神(西宮市門戸西町)
に参り、かつての門戸厄神参道そし
て旧西国街道を散策する。
 
厄神さんのこの界隈は、江戸時代尾
張藩が治めていた知行地。
尾張藩知行地には7つの村があり、
その内のひとつ門戸村のみが、尾張
藩主家老の地で、その代官を勤めて
いたのが中島家だった。
 
江戸時代の頃に遡る。
門戸厄神駅前から旧西国街道を通る
と、かつての参道筋に史跡に説明板
があり、この「甲東文化保存の会」
の説明をもとに、昔の厄神さんの参
道について記す。
 
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門戸厄神駅から旧西国街道を通り、
「門戸橋」から北に行くと、厄神さ
んへの道標(①)がある。
門戸厄神の位置は、道標から北東の
方角にあり、西国街道より厄神さん
までの3丁(1丁=109m)は、
曲して不便な道で、富倉川に架かる
門戸橋からこの辺りを通っていたと
思われる道標である。
この辺りは、明治時代の「門戸村地
誌」の字名によると、道標に刻印
れた『すく』は「堤マタゲか墓俣」
にあたるようです。
また、門戸厄神は宇垣ノ内と記され
ている。
 
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旧西国街道にある門戸橋
 
 
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門戸橋より北にあがると道標「すえ厄神」
 
門戸厄神の南西の旧西国街道と「
やくじんさん筋」が交差する西宮
丸橋局向かいに「厄神道標」(②)
がある。
この道標は昔、西国街道と有馬街道
のふたつの旧道の分れ道に、文久2
1862)年に再建されている。
 
西国街道はここから広田村に入り、
今川了俊(1326-1420)は九州(
室町幕府の九州探題)赴任後の紀行
文『道行きぶり』のなかで、『川面
に沿いて木深く物ふりたる山あり、
鳥居たちたり』と記し、これは当時
の御手川と廣田神社を記す。
 
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西国街道と有馬街道のふたつの旧道の分れ道にある道標
 
 
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「☜ 日本三躰厄神明王社」
 
 

明治以後、門戸村の中島家当主中島

成教は、阪神電鉄をはじめ電鉄会社

の創建にかかわり、明治5年(187

2)の「学制」にも関係し、この区

の取締に任命され、「門戸厄神」の
地は中島家と深く関わった歴史がある。
 
現在、門戸厄神の参道は、門戸駅から
線路沿いの道と分れた二股の道路の「
参道」の標識のある方の道を100m
ほど歩くと、大きな墓石型の道路標示
、常夜燈がある。
 
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ここで山(北)側に折れ、門戸幼稚園
を左(西側)にみて50mも歩くと昔
参道だった「やくじんさん道」と出合
い、真直ぐ約30mの坂をのぼると、
厄神さんに着く。
 
 
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1月24日