高野山で弘法大師(空海)誕生を
祝う「青葉まつり」の6月15日。
 
平安時代の平清盛とゆかりがある
高野山の霊場、奥の院と壇上伽藍
を訪ねる。
 
高野山(和歌山県伊都郡高野町)は
標高約1000m前後の山々の総称
で、平安時代に空海(のち弘法大師)
が修行の場として真言宗を開いた地。
山内には、「壇上伽藍」と呼ばれる
根本道場を中心に金剛峯寺(真言宗
総本山)をはじめ117ヵ寺があり、
弘法大師御廟に通じる参道「奥の院
」がある。
 
平清盛(1118-1181)は、武士
としてはじめて太政大臣に任ぜられ、
娘を天皇にに入内させ「平氏にあら
ずんば人にあらず」と言われたひと
つの時代を築くが、やがて貴族・寺
社・武士から反発を受けるなか熱病
のために没する。
 
 
「大伽藍」の道から入り、その奥(
西)へとゆく。
 
 
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大伽藍入口
 
平氏は鳥羽院に熊野詣(くまのもうで)
の警固を命じられるが、平清盛は祇園
社乱闘事件を起こし、鳥羽院の熊野詣
の同行を認められなかった。
清盛の弟の平家盛は、役職につき、清
盛に自分が平氏の棟梁だと言い切った。
家督争いにもなりかねない事態が生ま
れた。
 
伽藍には、三昧堂(さんまいどう)が
ある。
清盛は、平氏一門に家督相続が起こり、
高野山にいる西行に相談にゆき、西行
との再会を果たす。
1150(久安6)年に歌人西行は高
野山に来て、三昧堂を造ってここで
行し、以来30年以上在住していた。
現在三昧堂の前には西行が植えたとい
う西行桜がある。
 
 
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平清盛の相談相手の西行の修業道場の三昧堂
             
 
 
鳥羽院一行は京を出立し、無事に熊野
の参詣をすませる。
ところが、弟家盛は熊野参詣帰路の途
中、病により落馬して急逝する。
平家盛の喪があけて、平氏の棟梁忠盛
は鳥羽法皇の御殿にまいり、忠盛は法
皇より、高野山の金堂、大塔の再建を
平氏に言い渡される。
このとき平清盛は代官として高野山に
はいる。
 
高野山一山の密教の総本堂は金堂で、
ここに「両部曼陀羅」がある。
信西(雅人親王・のちの御白河法皇
の乳父)が清盛に紹介した絵師常明
の作だが、中尊の大日如来の宝冠の
部分は、平清盛自らが額の血でを描
き、「血曼陀羅」と呼ばれている。
 
 
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平清盛自らが額の血でを描いた「血曼陀羅」がある金堂
 
 
 
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胎蔵界曼陀羅を描く清盛
 
 
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平清盛が宝冠を自分の額の血で描いた「胎蔵界曼陀羅」 
 
 
 
 
 
 
 
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図の中央にある大日如来。
 
 
 
根本大塔(こんぽんだいとう)は816
(弘仁7)年空海が高野山開創の頃より
着手し、大師と真然の二代を費やして
87(仁和3)年に完成させたものであ
る。
安芸の守平清盛は、安芸国からの収入を
つぎこんで高野山の大塔を修造し終える。
 
 
 
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平清盛が芸国からの収入をつぎこんで修造した高野山の大塔
 
 
 
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鳥羽法皇より、高野山の金堂、大塔の
再建を平氏に言い渡され、安芸の守平
清盛が代官として高野山にはいる。
 
 
清盛は、高野山の大塔を修造し終え、
弘法大師空海の遺骨を祀る奥の院に
詣り、奥院の拝殿が見え、「あれな
るが奥院」と歩み寄る。
すると、清盛の前に一人の老僧が現
れ、厳島神社を修造するように
「社殿完成のうえは立身、官位は並
ぶ者あるまじ」
去った。    
あたりには、異香が満ちて、清盛は
老僧が弘法大師と直観します。
 
 
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 清盛が老僧のお告げを聞いた奥の院の弘法大師御廟の拝殿前
 
 
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奥の院拝殿前で老僧(弘法大師)のお告げを聞く平清盛(平家物語絵詞)
 
 
その後、都に帰った清盛は鳥羽法皇に、
厳島神社復興を奏上し、厳島神社の大
改修工事を進め、海中に立った大鳥居
を建て替え、180間の回廊を海の上
につくった。
 
 
 
高野山と平清盛
 816(弘仁 7)年    
弘法大師により高野山開創大塔は
この頃より着手される。
819(弘仁10)年 金堂創建。
887(仁和 3)年 大塔が完成。
1156(久寿2)年    
鳥羽法皇死去。
崇徳上皇と後白河天皇の対立。
保元の乱。清盛の後白河天皇方が崇
徳上皇方を破る。
清盛(39歳)は播磨守に任ぜられ
る。平氏の知行国が4ヵ国になる。
1157(保元2)年 
10月23日 、後白河法皇、三井寺
の法印覚讃(かくさん)を先達にし
て、平清盛らを伴にして熊野詣に出発。
1159(平治元)年    
平治の乱(後白河帝33歳)            
源義朝と藤原信頼が挙兵し、後白河上
皇と二条天皇を幽閉する。
清盛は義朝軍を破る。
信頼は斬首、義朝は獄門首、源頼朝
は伊豆に流される。
清盛は武家として初めて公卿(くぎ
ょう)、正三位に任ぜられる
1180(治承4)年    
安徳天皇誕生(安徳3歳)
1181(治承5)年    
高倉帝(亨年21歳)崩御、清盛64
歳の生涯を閉じる
1185(文治元)年 平氏滅亡
1192(建久3)年
後白河法皇死去(66歳)
源頼朝、鎌倉に幕府開く。
2015(平成27)年   
高野山開祖1200年大法会。
壇上伽藍中門が再建(記念事業)
 
 
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6月14日
『軍師官兵衛』と世界遺産の高野山ー
信長・秀吉の天下統一と高野山ー新和歌山物語(55)