根来寺は紀の川中流域の岩出市(和歌山
県)にあり、旧和泉国と紀伊国を分ける
和泉山脈の南側の山麓にある。
 
 
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高野山にて、覚鑁(かくばん)が、真言宗の教義
に新説を立て、大伝法院を創始したため、 中心と
なる金剛峯寺と対立し、大伝法院領だったこの地
に逃れ、法延6(1140)年に一乗円明寺を創
建したのが根来の始まりです。
 
 
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高野山からおりて、覚ばんが根来に建立した円明寺。
 
覚ばんに帰依した鳥羽上皇のもと、落慶法要が
行われた(1143年)
当時真言密教は分派をつくらず、加持祈祷に特
徴がありました。
覚ばんは極楽浄土の仏(阿弥陀如来)は大日如
来(真言宗の仏)だという。
真言密教の教えのなかに浄土教という極楽浄土
を祈願する考え方をもちこみ、権力争いに敗れ
て高野山から根来の地に逃れる。
 
 
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僧侶の修行道場の根来寺の本堂本尊大日如来)
 
その後も金剛峯寺との衝突が続きますが、
正応元(1288)年、高野山から大伝法
院を根来に移して独立する。
中世以降大伝法院を中心に杉の坊、愛染院
をはじめ450を越える坊院が構えられ、
舎は2700余に達し、これらを総称し
たのが根来寺である。
 
 
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南北朝の頃、僧兵の大将杉の坊の住坊と伝えられる愛染院
 
1543(天文12)年、杉の坊津田監物算長
(つだけんもつかずなが)は種子島に渡り、
砲を持ち帰って、根来西坂本の刀鍛冶芝辻清右
衛門が摸作した。
芝辻清右衛門は後に堺に移り住み、堺は鉄砲の
一大産地になる。
 
寺内には、僧徒が居住しており、堂塔の管理や
防衛なたる「行人」層が「根来寺衆」で、鉄砲
集団として知られていた。
 
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根来衆の武装(『兵法虎の巻』より)  
 
根来寺は、紀伊・和泉・河内三か国にまた
がる地域の土豪と結びついた大きな勢力と
なり、しばしば諸国・諸侯の抗争にもかか
わった。
最終的には根来寺は、天正13(1585
)年、秀吉の紀州攻めで壊滅させられる。
根来寺壊滅後、愛染院長算は、成真院根来
盛重とともに駿府(静岡市)に出て、徳川
家康に仕える。
 
一方、高野山は、織田信長と対立し、数万
の織田軍勢に攻められますが、本能寺の変
で難を逃れる。
続いて、豊臣秀吉は寺領の返還を迫り、高
野山側は武士出身の僧・木食応其を仲介者
として、石高を減らして秀吉に服従を誓う。
その後、秀吉は、木食応其に帰依し寺領を
寄進し、山内に青厳寺(総本山金剛峯寺の
前身)を建てました。
 
 
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高野山の総本山金剛峯寺(本尊阿閦如来)
 
大坂の陣で豊臣家が滅びた後、高野山は、徳川家
の菩提所と定められ、現在高野山真言宗と名乗って
いる。
 
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              高野山大伽藍の根本大塔(こんぽんだいとう)
 
816(弘仁7)年高野山開創の頃より着手され、
887(仁和3)年に弘法大師と真然の二代を費
やして完成する。
 
根来寺は、徳川家康に祥雲禅寺(秀吉が鶴松を弔
って建立)を寄進され、紀州徳川家の庇護のもと
に復興する。
 
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              日本最古の根来寺の根本大塔 (国宝)
 
1494(明応3)年頃より1547(天文16)年
に50年以上かけて完成
        
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根来寺と高野山(年譜)
 平安時代
  804(延歴23)年 空海、唐へ渡航
  806(大同 元)年 空海、真言密教を広める
  816(弘仁 7)年  空海(弘法大師)、高野山開創に着手
  887(仁和 3)年  高野山大塔が完成する。
室町時代
1140(法延6)年   覚鑁(かくばん)、根来の地に一乗円明寺を創建
鎌倉時代
1288(正応元)年  高野山から大伝法院を根来寺に移す
戦国時代
1543(天文12)年  愛染院津田監物算長種子島に渡り、鉄砲を根来に持ち帰る
1547(天文16)年  根来寺の大塔が完成
安土・桃山時代
1573(天正 元)年  織田信長、足利義昭を京から追放。
1575(天正  3)年    5月、長篠の戦い(織田・徳川の連合軍対武田軍)
 
1577(天正 5)年  根来衆が織田信長に味方し、三好三人衆と戦う
1580(天正 8)年  石山本願寺と信長が和睦
1581(天正 9)年  織田信長は高野山攻め、松尾寺を含む阿弥陀山の諸堂を焼き払う。
1582(天正10)年   本能寺の変
1583(天正11)年   羽柴秀吉、家臣中村一氏を岸和田城主とする。
1584(天正12)年   小牧・長久手の戦い(織田信雄・家康対羽柴秀吉)
1585(天正13)年   岸和田城合戦(3月)
               羽柴秀吉軍と根来衆が和泉近木川付近にて合戦(3月20日)
               根来盛重は積善寺城にろう城
               秀吉軍の根来攻めで根来寺炎上、
               大伝法院の一画と山門を残して焼失(3月23日)
               羽柴秀吉、中村一氏を近江水口へ移し、小出秀政を城主とする。
               本願寺(貝塚)が天満に移る
              根来盛重、三河国浜松において徳川家康と対面(8月23日)
              成瀬正成を組頭とした根来組が編成される
1587(天正15)年  豊臣秀吉、根来寺山門を大和郡山城に移す
1600(慶長 5)年   9月、美濃の関ヶ原で小早川秀明の寝返りで、家康軍勝利。
              根来盛重が関ヶ原の戦で戦う。
                                  徳川家康、根来寺の再建を許可 
 
2月28日
   根来寺ー秀吉の紀州攻めと根来寺ー新和歌山物語(31)