「利休にたずねよ」の小説と映画。
映画化された「利休にたずねよ」
(監督・田中光敏)。
 
映画は映像が美しく、小説(作
・山本兼一)に描かれた花を活か
して展開していく。
利休の茶道の神髄を書いた小説の
花にあわせ、映画「利休にたずね
よ」を記してみたいと思う。
 
椿(つばき)
宗恩(中谷美紀)は、側女として
一軒の家を宗易(後の利休)に
えられ、懸命に利休(市川海老蔵)
に尽している。
ある夜座敷にあがった利休は、座
りもせずに帰る。
次に利休が来た夜、宗恩は「先夜
はいかがなさいましたか」とたず
ねた。
床の花器入れに生けた花の椿が開
きすぎて落ち着かず、「あれでは
すわっていられない」と言う。
 
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利休がすきだった椿のつぼみ
 
宗恩は利休の才気に身震いし、憧
れとして眺めはするが、椿の花以
後、家の中のしつらえにことのほ
を砕くようになる。
やがて宗恩は、前妻が亡くなり、嫁
として千家にむかえられる。
利休はまだ茶の湯者として知られて
いなかったが、宗恩は、溌溂として
優しい利休を生涯をかけて尽くすべ
き夫と思った。
 
利休切腹の三月ほど前。
あれから利休屋敷十年がたった。
天正19(1591)年1月1日。
除夜の鐘が鳴り、宗恩は思いきっ
『わたしを妻になさって、ほ
んとうによろしかったんでしょう
か…』と口にする。
すると、利休は、「妻とすべき女
はおまえしかおらぬ」と応える。
「なぜ、そんことをたずねる」と
問いかえす。
宗恩は「ただ、あなたの妻には、
もっとふさわしい方がおいでの
ような気がしてなりません」
は言ったが、本当にたずねたい
ことが訊けたわけではないと思
った。
利休切腹の三月ほど前になる。
 
水仙(すいせん)
利休の先妻のあいだの娘・おさん。
おさんは、宗恩と東山に出かけ
たとき、鷹狩してい秀吉と出会
い、側室にと申し出があったがて
いよく断った。
 
利休切腹のふた月と少し前になる。
天正19(1591)年1月18日朝、
70歳になった利休は、夜明け前に
目を覚まし、茶の湯にかけた思い
をふりかえる。
 
利休の茶は室町風の華美な書院風
の茶でもなく、村田珠光の冷え枯
れの侘び茶でもなく、山里の雪間
に芽吹いた草の命の輝きにあり、
椿の蕾(つぼみ)に秘めた命の強
さにあり、それは恋の力にも似て
いた。
恋の力に似た生命力が美の源で、
美の源泉を形にしようとつとめ、
人が生きて暮らすことのこころば
せが、茶の湯の極致と思いつくり
あげてきたが、ー「そんなものは、
うたたかだ。」と吐き捨てるよう
に思うのだった。
 
利休19歳のとき囚われた高麗の女
は美しく、咲き誇った花ではなく、
あでやかな命を秘めた蕾の凛冽さ
があり、若い頃のあのときの悔い
が深まるばかりだった。
 
気がつけば、夜が明け初め、利休
は起きて炭小屋にいくと、小屋の
梁にぶらさがった娘おさんを見る。
秀吉に出会ったからこそ、利休は
独創的な侘び茶の世界をつくった
が、その代償として、娘の命まで
奪い取られてしまった。
利休は、亡きおさんの唇に床の間
に生けてある水仙の花を茶に浸し
、茶の滴(しずく)をしたたらせ
ます。
 
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冬の水仙
  
木槿(むくげ)
千与四郎(後の利休)十九歳、
天文9年(1540)6月某日、大坂
泉州堺の浜。
与四郎(後の利休)は、父が人か
ら預かった蔵の高麗の女性に恋を
、彼女を蔵から高麗に逃がそう
とし、浜辺の苫屋に入って隠れて
た。彼は苫屋で、お茶を点てるが、
まずは花…。
高麗の女は、木槿の花が枯れたこ
とを悲しみ、枝の端を斜めに切り、
切り口をつけて花入にさして壁際
におきます。
すると木槿は少し生気をとりもど
しだし。女は『木槿一日自為栄』
(木槿の花は一日しか咲かないが、
それでもすばらしい栄華だ)と筆で
書く。 
与四郎は、『何須恋世常憂死』(人
の世を恋て常に死を憂いてもしょう
がない)と、一行横に書き加えた。
 
 イメージ 3
 
木槿(むくげ)の花
 
しかし、苫屋のふたりは追手に
見つかる。
遂にふたりは毒を入れた茶を飲
むことになる。茶を飲み死んだ
高麗の女性に次いで茶を飲むは
ずの利休は死にきれず茶を飲み
ほせませなかった。
街をさまよう利休。彼は、高麗
の女性の最後の言葉が
『わたしだけ死んで、あなたは
生きてください』の意味だと
から訊いて、その場にうずくま
り号泣…。
  
利休切腹の日、
天正19年(1591)2月28日
利休屋敷(『夢のあとさき』)。
利休の妻、宗恩は純白の小袖を切
腹した夫にかけ、夫の懐から香合
を手にとって廊下に出る。
廊下に出ると利休好みの石灯篭が
あり、宗恩はにぎっていた緑釉の
香合を投げつけようとしたが、思
い止まり、『最後にわたしがおた
ずねしてみたかったのは』とひ
と言もらす。
 
利休の茶道の原泉は木槿(むくげ)
の一枝がある堺の浜辺の苫屋での
高麗の女性への想いにあった。
 
「利休にたずねよ」の小説と映画。
利休の茶道の神髄がどこにあった
かを描いた小説を、さらに映画で
は、観たひとが利休のことでいろ
いろなことをたずねたい想いを、
余韻をもたせて終わっているよう
だった。
 
12月25日