後白河帝は、熊野詣をしたときに
原王子跡(現泉佐野市)から
街道を通り、佐野王子跡を訪ねた。
 
 
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佐野王子跡(大阪府泉佐野市上町1丁目)
 
 
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34回に及ぶ熊野詣した後白河帝の熊野街道
 
後白河天皇行宮(中家)伝承
佐野王子から後白河帝は中家
(現大阪府熊取町)に立ち寄っ
たのではという伝承がある。
 
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白河法皇の行宮(あんぐう)の中家(現大阪府泉南郡熊取町)
 
後白河帝は1156(保元元)年
皇位継承をめぐって崇徳上皇と後
白河天皇や貴族の争い(保元の乱)
が起きる。
勝利をおさめた保元の乱の翌年11
57(保元2)年に後白河帝は熊野
詣し、中家(現大阪府熊取町)に立
ち寄ったという伝承である。
 
中家住宅の菊の紋のある唐門(客
殿に通じる門)がある。
 
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      中家住宅(熊取町五門)の菊の紋のある唐門(客殿に通じる門)
 
中家由緒書
後白河院が行宮(あんぐう・仮設の御
所)にしたという中左近家に伝わる後
白河法皇行宮の中家由緒書がある。
中左近家に伝わる後白河法皇行宮の
中家由緒書
 
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保元第二年春三月、
後白河法皇熊野御幸の御時、
中左近盛秀宅へ御車寄せさせられ 
一夜御座有りける時、御叡感の余
り、左近将監大夫に任ぜられ、
正に嫡流大夫盛直に至り相承して、
代々経て凡そ十六葉居継ぎす、
に旧儀を改め染筆し畢(おわんぬ)、
永く家門に伝うべきものなり、
享保十一冬臘月(十二月)
前参議従二位師香(石山)
泉州日根郡御門村
中左近将監大夫盛直
 
この由緒書はあくまで案文(あんも
ん)で、1726(享保11)年に当時
中家当主の左近盛直が公家の石山師
香(もろか)に依頼して作成された
ものである。
石山師香(もろか)の署判もなく、
紆余曲折があって、正式な由緒書は、
最終的には中家に渡らなかった。
 
この由緒書依頼の背景には、 この頃
、中家は岸和田藩の指示で二度にわ
たり他村の庄屋が中家の借財や質地
の整理を行っている。
中左近盛直は、岸和田藩内、熊取に
おいて影響力が低下するなかで中家
の権威、当主の立場を確かめること
を急務とし、公家の石山師香(もろ
か)に中家由緒書の作成依頼をした
かと思われる。
 
佐野王子から熊取谷
泉佐野市の北(貝塚市に隣接)の
鶴原王子跡から佐野王子跡までの
熊野街道を歩いてみたが、熊取谷
は熊野詣の佐野王子から約2㎞と
い僅かな距離で後白河帝は一日、
熊取谷の原野にて狩をするために
中家屋敷を行宮にしたのではない
だろうかと想像をする。
後白河帝の輿(こし)を熊取の「五
十四人座」の人が交代しながら担い
だといわれている。
 
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熊取谷54人座がかつぐ後白河帝の輿
 
後白河院には熊野詣の歌を詠む。
花の都を振り捨てて
くれくれ参るは朧(おぼろ)けか
且つは権現御覧ぜよ 
青連の目を畔やかに
 
京の都よりくれくれ(難渋難儀)し
て参りましたのでその青連の目でわ
たしの願いを聞き届けてください、
と願った歌。
 
大阪最南端の雄山峠越えには、和泉
と紀州を結ぶ古道が通っている。
山中渓駅近くに馬目王子社(現山中
神社)があり、山中神社(旧馬目王
子社)の祭神が後白河天皇である。
 
 
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熊取谷と後白河院の歴史(メモ)
奈良時代
 757年(天平勝宝9) 和泉国(大鳥・和泉・日根の三郡)の日根郡に属する。
平安時代 
 794(延歴13)年   垣武天皇は都を京都の平安京に移す。
 805(延歴24)年   桓武天皇が「熊取野」に狩猟。熊取はまだ未開の原野。
1016(長和5)年    藤原道長が摂政となる。(貴族政治の時代)      
1086(応徳3)年    白河上皇が院政をはじめる。(院政時代)
1127(大治2)年    第4皇子として誕生、雅仁親王。(後に後白河天皇)
1129(大治4)年    白河法皇が崩御し、鳥羽院政が始まる
1155(久寿元)年    後白河天皇即位。(28歳)
1156(久寿2)年    鳥羽法皇死去(後白河帝30歳)
               崇徳上皇(37歳)と後白河天皇の対立
               保元の乱
               清盛の後白河天皇方が崇徳上皇方を破る。
               崇徳上皇は讃岐に流される
               清盛(39歳)は播磨守に任ぜられる。平氏の知行国が4ヵ国になる。
1157(保元2)年    後白河帝熊野行幸(31歳)後白河帝が熊野詣、中家に立寄る(伝承)
1158(保元3)年    後白河上皇院政を始める(二条天皇に譲位)(後白河帝32歳)         
1159(平治元)年    平治の乱(後白河帝33歳、)            
               源義朝と藤原信頼が挙兵し、後白河上皇と二条天皇を幽閉する。
               清盛は義朝軍を破る。
               1160(永暦元)年    後白河上皇熊野行幸(34歳)              
1180(治承4)年    安徳天皇誕生(安徳3歳)、後白河院(54歳)
1181(治承5)年    高倉帝(亨年21歳)崩御、清盛64歳の生涯を閉じる
1183(寿永2)年    平氏一門都落ち、木曾義仲入京。
1184(元暦元)年    後鳥羽帝(院の第4皇子、4歳)が即位
1185(文治元)年    平氏滅亡(後白河帝59歳)
1192(建久3)年    後白河法皇死去(66歳)
 
 
1月16日(水)
    秀吉の根来攻めと家康の旗本・根来盛重ー戦国(4)・中家物語(23)ー