竹房(紀の川市)にある「龍蔵院」
(紀の川市竹房)を訪ねる。
この龍蔵院付近は『佐藤城址』と呼
ばれ、佐藤氏一族の館があって、平
安時代に活躍した明山(めいさん)
上人と西行法師の生誕地です。
龍蔵院の隣、竹藪付近の「佐藤城址」と龍門山
龍蔵院の境内にある像と石碑です。
明山上人像
「西行法師生誕の地」の石碑
『佐藤城址』と呼ばれる地の龍蔵院
のごく近くには2人の産湯に使った
井戸があり、2人は共に佐藤氏の一
族と考えられています。
明山上人の産湯の井戸と北の和泉山脈
西行法師の産湯の井戸(階段下右土手の手前)
明山上人(1021ー1106年)は、
承保2(1075)年に故郷のこの
地に龍蔵院を建立する。
明山上人が建てた龍蔵院
「明山上人像」がある龍蔵院境内と南の紀の川と龍門山。
明山上人は、高野山の大塔、奥の院
拝殿などを建立し、高野山復興の祖と
呼ばれている。
明山上人
治安元(1021)年 竹房にて生誕
長元4(1031)年 11歳で高野山に出家
承保2(1075)年 竹房龍蔵院を建立
承徳元(1097)年 奥の院拝殿落慶
嘉承元(1106)年 86歳で入寂
平成18(2006)年
明山上人900回忌を期して顕彰碑ができ、
紀の川市の史跡に指定されています。
高野山奥の院
西行法師
明山上人は平安前期、西行法師(11
18-1190年)は平安後期の人です。
西行は出家後、高野山で30年以上
在住し、三昧堂(さんまいどう)で
修行する。
元永元(1118)年 紀伊国竹房で生誕
保延元(1135)年 18歳 左兵衛尉に任ぜられる
保延3(1137)年 鳥羽院の北面の武士で奉仕
保延6(1140)年 23歳で出家して円位を名のる
後に西行と称する。
久安4(1149)年 高野山にはいる
その20年後旅に出、庵をかえ、後に高野山に戻る。
伊勢国に数年住んだ後
建久元(1190)年 河内国の弘川寺にて入寂。
高野山三昧堂前の西行桜
これまで、竹房橋の手前にある63号
線沿いの西行法師像を見て、「竹房」
を通り過ぎ、ゴルフ場にゆく。
ところが、この西行法師の像が気に
なり、竹房の地をたずねてみた。
明山上人、西行法師は、竹房・田仲
荘はじめ、この地域一帯の荘園を支
配していた有力な佐藤氏の出身であ
る。
竹房で暮らすひとたちも、これまで
京の都や高野山とかかわりがあるな
かでの暮らしがあったのではないか
と想い。
竹房は、北に和泉山脈が見え、紀ノ
川沿いにあって、南の龍門山を背景
に、遠くには高野山がある自然に恵
まれたところ。
西行法師の像(平成3年3月建立)
<竹房の景色>
12月4日(火)
西行法師と誕生地「竹房」(紀の川市)ー和歌山(16)ー