祇園社を訪れていた清盛一行は、
僧兵ともめ、延暦寺の強訴を招いてしまいます。
 
 
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     延暦寺の僧兵(「天草草紙」より)              平安京と畿内周辺
 
 
これまで寺社を支えていた皇族・貴族の力は衰えています。
教団は、維持するのに武力は欠かせず、僧侶に武装させます。
延暦寺は、園城寺や興福寺としばしば争います。
 
 
権勢を誇った白河法王ですら、
加茂川の水と双六(すごろく)の賽(さい)と山法師の三つを、
自分の意のままにならないものだと言います。
 
僧兵の横暴には目にあまるものがありました。
僧兵は強訴(ごうそ)という手段で目的を遂げます。
比叡山の山法師は近江(おうみ)の日吉神社(ひえじんじゃ)の神輿(みこし)を持ち出し、
都で暴れます。
 
当時の僧兵は堂衆・衆徒などと呼ばれ、
おもに寺の作業を従事し、野武士、貧農の子弟上がりです。
学業をもっぱらとする学生(がくしょう)、学侶とは違い、
宗教的なものとは縁遠いものです。
 
強訴の渦中に、清盛が神輿へ一本の矢を射て
大きな問題に発展します。
 
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                内裏(だいり)に刀剣・弓を持ち、押し寄せる比叡山の衆徒・神人(しんじん)。
       
                                 (「平家物語絵巻」より)
 
 
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            平安京の祇園社(現在の京都八坂神社)と延暦寺
 
 
寺社は神輿を盾に目的を遂げていいきます。
神輿強訴のうわさが伝わると、源平両氏が京の御所を固めます。
清盛が、神が宿る神輿に矢を射たことで
1147(久安3)年祇園闘乱事件が起こります。
 
僧兵約3000を抱える比叡山は清盛親子に流罪を要求します。 
鳥羽上皇は清盛をかばい、
忠盛が祇園社に所領を寄進することで、
延暦寺の怒りを鎮めます。
 
後平家は、東大寺・興福寺にこもる僧兵をうちのめし、
京都の町から僧兵の姿を消してしまいます。
武力は武士によって担われる時代へと進みます。
 
 
 
 
 
3月29日(土)
   「平清盛」の時子と「源氏物語」ー「平清盛」12-
        http://blogs.yahoo.co.jp/kazuo2story/8197850.html    
 
 
 
 
 
 
 
 
「平清盛」の平安時代と歴史(メモ)
 
 794年   垣武天皇は都を京都の平安京に移す。
1016年   藤原道長が摂政となる。(貴族政治の時代)      「源氏物語」
 
1086年   白河上皇が院政をはじめる。(院政時代)
        1118(元永元)年   平清盛出生。平忠盛に育てられる
        1129(大治4)年   白河法皇が崩御し、鳥羽院政が始まる
        1138(保延4)年   清盛、平時子と再婚する
        1147(久安3)年   祇園社乱闘事件
 
1192年   源頼朝が鎌倉に幕府を開く。
1333年   建武の新政(天皇中心の時代)
1336年   足利尊氏が室町に幕府を開く。
1573年   安土・桃山時代(信長・秀吉)
1603年   徳川家康、江戸幕府を開く
1868年   明治時代
1912年   大正・昭和・平成時代