骨髄提供回想録 17 心の中に生き続けている人 | 人生 直球勝負!

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自分の気持ちに正直でいたい。
愚痴は言わない。妬まない。短所より長所に目を向けたい。
やりたいことを「がむしゃらに」やって行きたい。

たまに揺らぐときもあるけど…。

そんな気持ちを忘れないよう、綴っていきたいと思います。

2011年の春、骨髄提供のことをブログに書き始めました。


患者さんから届いた手紙のことや、骨髄バンクへの再登録、すぐにコーディネートが始まったことなど。


それらを見てくれたひとりのMDS(骨髄異形成症候群)患者さんが、コメントを残していってくれました。


彼女の名前は、「ぷりもさん」。


ご存知のブロ友さんも、たくさんいらっしゃると思います。



風邪ひとつ引くことがないほど健康だったのに、突然MDSと宣告され、治療開始。


根治療法は造血細胞移植しかないので、骨髄バンクに患者登録して、フルマッチのドナーさんから移植を受ける。


生着し退院するも、半年後に再発。。


MDS由来の急性骨髄性白血病に転化。


高校生の娘さんがドナーとなり、ハプロ移植を受ける。


生着し退院するも、またしても再々発。


2度の移植の為、既に身体はかなりのダメージを受けているが、わずかに残る可能性にかけて、妹さんからのハプロ移植を決意し、寛解を目指す。


しかし寛解には至らず、移植を断念。緩和ケアに。。


2013年1月6日、虹の橋を渡る。。



最初からとても厳しい病状だったようですが、彼女は常に明るく前向きでした。


時には、深刻な病状のことを書いたりもされてましたが、そんな時には同じ病気の患者さんが気にし過ぎないよう気遣っておられました。


とにかく、闘病ブログなのに、明るくて楽しかった!


僕の2回目の提供が決まったのは、彼女が3回目の移植を目指して治療に向かっていた頃でした。


きっと身体も心もシンドかっただろうに、報告のコメントを入れると、まるで自分のことのように喜んでくれました。


ですが、それから1ヶ月も経たないうちにブログの更新があって、寛解に至らず移植を断念すると。。。


この日は、涙が止まらなかった。。


顔も名前も知らない人なのに、他人事とは思えなかった。。


誰にだって、その時は来る。


早いか遅いかの違いがあるだけ。


そう分かっていても、何故だ?と思わずにはいられなかった。



「21歳の別離」のヒロイン『中堀由希子』さんと、ブロ友の『ぷりも』さん。


このおふたりは、僕の骨髄バンク活動の原点なのです。


因みに、僕がドナー登録会で登録用紙の記入に使っているハンコ付きのボールペンの商品名は『PRIMO』。

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お守りになるような気がして、使っています。