骨髄提供回想録 16 2回目の提供への過程 | 人生 直球勝負!

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自分の気持ちに正直でいたい。
愚痴は言わない。妬まない。短所より長所に目を向けたい。
やりたいことを「がむしゃらに」やって行きたい。

たまに揺らぐときもあるけど…。

そんな気持ちを忘れないよう、綴っていきたいと思います。

再登録後初めてのコーディネート(通算6回目)は、9月下旬に患者さん都合で終了しました。


恐らく、病状の変化があって、移植中止になったのでしょう。。


僕にとっては、初めてのケースでした。



フリーになったので、また震災ボランティアへ行くことを考えていましたが。。


2週間後、10月初旬に、また候補に挙がったと連絡が来ました。


間隔が空かずに開始になることは以前にもあり、すっかり気心の知れたコーディネーターさんとも、「やっぱり来ましたね(笑)」と。


もちろん了解して、7回目スタート。


このときは迅速コースだったのか、結果が早く、11月下旬には第2候補のままで終了となりました。


ところが、、


3週間後に、8回目がスタート!


最早、笑うしかありませんでした。


このときも第2候補のまま、2月に終了。


そして、僕にとってはかなり長い空白期間(と言っても半年ですが)を経て、8月に9回目がスタート。


何となく、今回は決まるな、と思っていたんですが、またもや9月に第2候補で終了。


やっぱり選ばれるのは簡単ではないな。。


そんな風に感じていたんですが、すぐにその時はきました。


またもや2週間後に始まった10回目のコーディネート。


最初の提供が決まったときも同じでしたが、わずか3・4日後に「今回はお願いします」と連絡が来ました‼️


(通常は、確認検査という行程を経るので1・2ヶ月かかりますが、確認検査の有効期限が1年なので、前回のデータで進みました)


再登録から約1年半。


短いようですが、その間5回のコーディネートがあったので、かなり長く感じ、「やっと来たか!」という感じでした。


実際の提供は年明けでしたが、それまでにひとつの悲しいお別れが来るとは、この時は思いもしていませんでした。