入手済みの書状の解読です。

 

酒井忠進からの書状 です。


-酒井若狭守忠進:酒井忠進。
 若狭小浜藩の第10代藩主(1806年~1828年)。
 老中。
-内府:徳川家慶。
 江戸幕府の後の第12代将軍(1837年~1853年)。
-若君:徳川家定。
 後の第13代将軍(1853年~1858年)。

・文中に「披露」とあることから、老中奉書(老中返札)と判断 
・酒井忠進が若狭守になったのは文化5(1808)年、老中になったのが文化12(1815)年4月15日、死亡が文政11(1828)年1月27日のため、11月は1815年~1827年 
・1815年~1827年の間で、将軍家に内府・若君(叙任前)の二人がいるのは、徳川家定が誕生の文政7(1824)年4月8日から大納言叙任の文政11(1828)年4月4日までの間であり、11月は1824年~1827年 
・若君(家定)が髪置とあるため、数え三歳は文政9(1826)年 
●文政9(1826)年の、酒井忠進からの (徳川家定の髪置への祝儀を献上したことに対する)老中奉書(老中返札) である 

 

翻刻は以下とみました

若君様御髪置為
御祝儀
内府様 若君様江以
使者如目録進上之候
遂披露候処一段之
仕合候恐々謹言
     酒井若狭守
十一月朔日  忠進(花押)