先日落札した書状の解読をすすめました。


鍋島茂実(鍋島直大)からの窪田鎮勝(蒲池鎮克)への書状


-松平肥前守茂実:鍋島茂実(鍋島直大)。
 肥前佐賀藩の第11代藩主(1861年~1871年)。
-窪田治部右衛門:窪田鎮勝(蒲池鎮克)。
 旗本。西国郡代。

・鍋島茂実が将軍家茂から一字と松平を与えられたのと藩主になったのが文久元(1861)年、直大に改めたのは明治維新
・1861年~1868年の窪田治部右衛門は窪田鎮勝
・窪田鎮勝は、文久3(1863)年2月は(新選組の前身の)浪士組の取締役(上洛せず江戸に残る)。その後、神奈川奉行所の定番役頭取取締の任を経て、元治元(1864)年に西国郡代(日田代官)。慶応4(1868)年1月の肥後落(郡代の逃亡)までの4年間にわたり九州の幕府領を統治
・1867年12月5日には窪田が支配している天草陣屋が、奇兵隊に寄食していた者たちにより襲われ官金を奪われており、1867年12月は本書状の時期ではないと推定

 

以上から、

元治元(1864)年~慶応2(1866)年の、 鍋島茂実(鍋島直大)から窪田鎮勝(蒲池鎮克)への (寒中の)書状(返書)

と推測しました。

 

また、翻刻も以下としてみました。

 

御飛札令拝見候
甚寒候得共弥御無異之由
珍重存候為寒中御見廻
預示入御念儀忝
存候恐惶謹言
         松平肥前守
十二月十八日 茂実(花押)

窪田治部右衛門様
             御報