入手済みの書状の解読を進めました。

 

水野忠定・石川総茂・大久保常春・松平乗賢から下間仲英への(歳暮のお祝いに対する若年寄連署の)書状(返書)です。

水野忠定等の書状


-水野壱岐守忠定:水野忠定。
 安房北条藩の初代藩主(1725年~1748年)。
-石川近江守総茂:石川総茂。
 伊勢神戸藩の第3代藩主(1685年~1732年)。
 常陸下館藩の初代藩主(1732年~1733年)。
-大久保佐渡守常春:大久保常春。
 下野鳥山藩の初代藩主(1725年~1728年)。
 老中。
-松平能登守乗賢:松平乗賢。
 美濃岩村藩の第2代藩主(1717年~1746年)。
 老中。
・水野忠定・石川総茂・大久保常春・松平乗賢が若年寄なのは、水野忠定(1723年3月6日~1748年6月25日)、石川総茂(1717年9月27日~1725年6月11日)、大久保常春(1713年8月3日~1728年5月7日)、松平乗賢(1723年3月6日~1724年11月15日)であり、12月27日は1723年のみ

までは確認できていたのですが、宛名を深堀してみます。

 

・下間少進は、西本願寺の重臣の家系(東西本願寺の分裂の際に下間仲孝の少進家)

・少進家は、下間仲孝-下間仲此-下間仲令-下間仲英-下間仲旧-下間仲晏-下間仲一-下間仲潔-下間仲充。

 このうち1723年に宛名になりえる者を確認。

  下間仲孝は、1616年死亡。

  下間仲此は、明暦3(1657)年より法印。

  下間仲令は、寛文11(1671)年より少進、寛文13(1673)年より法眼。

  下間仲英は、元文2(1737)年3月22日の文書の記録あり。

  下間仲旧は本願寺法如(1707年~1789年)の子。長兄の文如は1744年生まれのため、その弟が1723年に宛名にはなりえない。

  下間仲一は摂津麻田藩主・青木一典(1697年~1736年)の子。長兄の一都は1721年生まれのため、その弟が1723年に宛名にはなりえない。

 

これらにより、下間少進は下間仲英と推定できました。