目指せシングル&サブ3
3月の振り返りとランについて思う事。
4月の声を聞いて、早4日になりました。
の花も都内では、ほとんど散ってしまいました![]()
ちょっと、遅ればせながら3月の振り返りです。走った距離は182km。日数21日でした。
今年になって、ふくらはぎの具合も大丈夫で、1月175km、2月180kmでした。
自分としては、もう少し距離を伸ばしたい気持ちもあるのですが、また故障してもいやなので、この辺にしときました![]()
今から10年程前、アラフィフの頃は、フルとかも走っていたので、月300km以上、年間で3800km位は走っていましたが、あまり走り過ぎるのも良くないみたいで、還暦を過ぎたので控えめにしています![]()
個人差はあるのでしょうが、時速12km(キロ5分)以上で週32km以上走る人は、走らない人と同じく不健康みたいです。あと、月200キロ以上走るとテストステロンという男性ホルモンの数値が
みたいです。何事も、「過ぎたるは及ばざるが如し」ですよね。まあ、レースに出るとどうしても頑張って練習量を増やしたり、レース本番でも120%で心拍数もかなり高くなってしまうもの。
自分もたまにはレースに出たいという気持ちはありますが、やっぱりレースにエントリーすると、頑張り過ぎちゃいます![]()
4月になって、そろそろゴルフシーズンです![]()
今年は、3月までは年明けから1回も行きませんでしたが、やっとこの週末久しぶりに
行く予定です。練習場と素振りはやってましたが。
だから、今月も
は、また200km以内位かな![]()
紫聖会総会&4年生修了式@日比谷松本楼
昨日は、母校の立教大学体育会陸上競技部の4年生の修了式と紫聖会(OB会)が日比谷の松本楼にて開催されました。
毎年、この時期に開催される修了式と総会は、卒業40年で初めての出席でした。
というのは、新年度から紫聖会の会計委員を任されることになったからです。
今春卒業する4年生部員は全部で27名との事でした。
自分が現役の頃は、陸上部全員でも20名足らずそれを思えば、なんと大所帯になったこと、びっくりです。そういえば、当時の箱根駅伝の予選会は、短距離や跳躍の選手、それに他の運動部からも助っ人に来てもらい、何とか人数だけ合わせて参加していました。
自分が、入学する数年前は、立教大学も何回か箱根路を駆けていたそうですが、すでに出場が途絶え、四十数年が経ってしまいました。
実は、正月の箱根駅伝は、家族の楽しみの一つなのですが、最近はちょっと肩身が狭いんです。
なぜかというと、妻は駒沢、息子は国学院、娘は亜細亜出身なんです。さらに、義姉は早稲田、義弟は青山学院です。まあ、陸上部は自分だけなんですが、最近は妻の実家で箱根駅伝を観る事もなくなったのですが、自宅で観戦していると「あれ?今年は立教は出てないの?」と特に妻に毎年言われるんです(涙)
日テレで中継される前は、こんな事なかったんですが。
昨日の紫聖会でも話しに出てましたが、箱根駅伝に出ると、1校で二日間一千万円の経費がかかるとか?ですから、OB会もそれなりに大変みたいです。
自分の目の黒い内に、ぜひ母校が箱根駅伝に出場することを祈って帰路につきました。
父が亡くなりました。
先月、30日の未明に父が90歳の生涯を閉じました。
亡くなる、3日ほど前から実家に一人泊まり込み、最期を看取ることが出来ました。
亡くなる2日前位からは、ほとんど意識もなく、たまに目を開けたりしていました。
目を開けていても、天井の方を見ていたりしていましたが、そんな父の手を握り、
「今までありがとうね」と声をかけた時、右の眼から涙がこぼれ、
それを手で拭っていたのが印象的です。
1年半の闘病生活とはいっても、昨年1年間は末期がんの人間とは思えないほど
元気な父でしたが、昨年の暮れ頃からだんだん食欲もなくなり、入退院を繰り返し、
みるみるやつれていきました。
亡くなった日の朝、看護師の方と一緒に冷たくなった父の身体を拭いてあげました。
手と足以外は、やせ細っていました。
厳格で頑固で内弁慶な昔気質の父でした。今は、亡くなった悲しさというより
1年半の看病が終わって、肩の荷が下りたような、それでいて何か虚無感を
感じています。
まだ、これから役所や年金関係の手続きがいろいろと残っています。
もう少し頑張ろうと思います。
