昨日、母が亡くなり、一か月でした。
昨日の亡くなった時間に子供らと黙祷しました。
1ヶ月前の1分前、数秒前、数時間前、
母は生きていたんだなと思うとまた、涙が
溢れました。
やっぱり生きていて欲しかった。
話せなくても、入院中であっても
生きているという存在は大きいんだなと思いました。

娘が、ふと、一昨日に
「昨日、おばぁちゃんの夢見たよ。
おばあちゃん、生まれ変わるって話してたよ。」
「おばあちゃん、このどこかで生きてるんだね」
娘の一言が胸に刺さり、まだ四十九日は終わって
ないんだけど、お母さんは幸せなのかな❓
向こうで笑って過ごせてるのかな❓とか
色々思いました。
私のところには夢ですら会いにきてくれない 泣
まだまだ安心させてないんだなと思いました。

今年、治療をもう出来ないと言われ、
余命を尋ねたところ、桜は見れないでしょうと
医師に言われた桜…
今、家の近所に桜が咲き始めて、それを
みたら泣きました。
お母さんと見たかったな…
車椅子でもいいから一緒に少しでも
お花見したかったなって…
部屋には母の写真を沢山置いてます。
子供らが毎日、「おはよう、おばあちゃん」
「おやすみなさい、おばあちゃん」
「おばあちゃん…○○したよ…」など
沢山話しかけています。
姿はなくともみんなの心の中に存在する母。
季節も暖かくなり、お外遊びができるように
なり、春の季節を感じながら前に進もうと
思います。