その言葉 ちゃんと主語がありますか? | トラベルライター・歴史研究家・英語/ドイツ語トレーナー 山内一輝のブログ

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トラベルライターとして、歴史・旅行に関する執筆・講演活動をしている山内一輝(山内かずてる)のブログ。個人事業主向けにプロフィール・個人活動冊子の文章作成も手掛けています。英語・ドイツ語を教えていた経験あり。国内外問わず、城や古い街並みを巡るのが好き。

主語のない言葉が、世の中飛び交っていて、それが変な現象を産むことが多い。

例えば…

「一生会社勤めすべき」とか、
「仕事なら、嫌なことがあっても我慢すべき」とか、
「結婚して家族を養うべき」とか

これ、誰が決めたの?
勝手に決めないでくれる!!


って、言ってしまっていいと思います。

「これ、誰が決めたの?」という問いかけって、結構強力で、
こういった、社会ではびこっている、しょうもない「べき論」を片っ端からバッサリ斬ることができます。


行動を縛ろうとする、卑怯者の言葉って、この「主語」が徹底的にない。

「常識では」「社会では」「みんなは」といった、言い方しかできないし、しない。

だって、
違うことして攻撃されるの怖いんだもの。
でないと、その「べき」の内容に魅力がないのに、守っているのが、馬鹿らしいものね。

安全な所から、その「べき」から外れようとする人間を撃墜して溜飲を下げる。

ワタシが決めていないことって、「ワタシは」という主語が出てこないもの。


「で、あなたはどう思っているの?」と聞いて、
「ワタシは」と主語付きの意見が出てこないようなら、「ふ~ん」と思って聞き流していればいい。

まず傾聴する価値がないだろう。
だって、集合意識の中にある常識の話をしているだけだから、つまらない。

ただ、それを態度に出したり、反論しまうと、
馬鹿にされたと相手が思い込み、面倒なことになるから、聞き流すのが一番いい。


もっとも、「社会通念」を何でもかんでも否定しろと言っている訳ではない。
良いモノだったら採用すればいいだけ。

「主語のない亡霊の言葉」
そんなものからワタシをさっさと自由にした方がいい。