だいぶ前に、ワタシの過去をさらけ出していました。
私は「変な子」 理解者は誰もいなかった 小学生時代
教えて欲しかった「嫉妬」への対処法 中学生時代
子どもの頃から「知る」楽しみは確かにありました。
そのおかげか、進学校に行って旧帝大に行く…くらいの学力は身につけることができました。
でも、多くの人は誤解していますが、だったら「幸せ」なんじゃないの?って。
多くの人が、まだ「良い学校に行く⇒良い会社に就職」なんて価値観を信じ込んでいますから。
いやいや、高校・大学と、ちっとも幸せではなかったです。
いじめられていたのかというと、
「いじめ」なんてもの、約一名を除いて見たことありません。
それでも、幸せでなかったのです。
むしろ、年々辛い感じが増していました。
え?知ることが好きなのに何で?って言うかも知れませんが…
いつの間にか「好きだから学ぶ」のではなく、「評価されたいから学ぶ」にすり替わっていたんですね。
評価されなくなるのが怖くて、求められていることを勉強していたんですね。
だから、気が付いたら、ちっとも楽しくありませんでした。
大学での研究のテーマも、自分が「やりたい」ことではなく、
「やるべき」と感じていたことを選んでしまっていました。
「他人の評価」を行動基準にすると、だんだん「やるべき」にすり替わっていって、ワタシが消えていってしまうんです。
だから、「やるべき」ことと、「やりたい」ことが近くても、決して面白くないです。
だって、旅行も行きたかったし、魔法や魔女のことを研究したかったし、ファンタジーの世界の話をしたかったし…ワタシのやりたいことを心の奥底に押し込んで、生きていた訳ですから。
「良い学校に行く⇒良い会社に就職」なんて、「他人の価値観」なんて信じ込んで、必死にワタシでないものに無理をしてなろうとしていて、自分の神経を極限まで削って生きていく感じがしたんです。
ワタシがやっていて楽しいことを突き詰めるために、
良い学校に行くのが良い選択肢だとその生徒が思うならば、そのために勉強するのは、別にいいんです。
でも、「良い学校に行く⇒良い仕事につく」という明治からの「他人の価値観」を信じ込んでいたって、何の役にも立たない所か、害にしかなりません。
子どもは本来知るはずありませんから、大人こそさっさと手放した方がいいです。
常識や世間体なんて、「他人の価値観」の最たるものです。
その「他人の価値観」を語る人間ほど、それを信じ込んで苦しんでいる人がいても、真っ先に見捨てます。
「他人の価値観」を語る人間は、自分で責任を取りたくないから、「他人の価値観」を語るんです。
まして、他人のことなんて絶対に責任を取りません。
そんなずるい人間に耳を貸して苦しむのなんて、割に合わないです。
「しんどい」と思うことの中には、「他人の価値観」が紛れ込んでいることがよくあります。
自分の「やりたい」と思うことにシフトするなり、
「しんどい」と思うことを感じ切ってみるなりしてみる、なんて対策、今だったらできます。
でも、当時のワタシは、
日本にある「他人の価値観」が嫌になって、ドイツへと飛び出しました。
日本にいても幸せになれないと当時は思っていましたから。
せめて好きな対象だったドイツに行こう…なんて思いました。
今だから分かりますが、「他人の価値観」から自由になるという意味で、別の国に行くのはいいのですが、
「日本にいても幸せにならない」というのも、実は違うんですけどね。
それはまた気が向いた時に…
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