「男」をやめたい | トラベルライター・歴史研究家・英語/ドイツ語トレーナー 山内一輝のブログ

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トラベルライターとして、歴史・旅行に関する執筆・講演活動をしている山内一輝(山内かずてる)のブログ。個人事業主向けにプロフィール・個人活動冊子の文章作成も手掛けています。英語・ドイツ語を教えていた経験あり。国内外問わず、城や古い街並みを巡るのが好き。

生物的には「オス」なのだが、「男」として扱われるとつらい。

「男」をやめたい

色々な誤解を生むおそれがあるから、ちゃんと言っておく。

・ 肉体を「女」にして、完全に「女性」として生きたい訳ではない。
  (「女性」の振る舞いを四六時中求められるのもつらいのは分かっている)
・ ワタシは同性愛者ではない。 恋愛対象は女性だ。

そして、一番大事なのは…

・ 社会的な「男」に付与されたイメージが重過ぎる。それが、ワタシにはとことん合わないし、しんどくて生きづらい。

ということ。


小さい頃から、こんな「大人の男」を見てきた。

・ 家族を支えるために嫌々仕事に行って、しんどそうにしている父
・ 生まれ育った地域の男を見ていても、嬉々として仕事している奴を見たことない
・ 電車に乗っても、一様に男の顔が死んでいる
・ 嫌なことがあったとしても、我慢を強いられる
・ 定年まで嫌であったとしても仕事をしないといけない。

子どものワタシには、こうなりたいなんて1ミリも思えなかったし、今でもそう。

じゃあ、どう生きりゃいいんだよ…なんて、ずっとイライラしていた。


まして、ワタシが中学生だった頃に、男女の関係については「最悪」の洗脳を受けていたようだ。

折りしもバブルの頃だった。
「メディア」で流れてくる、「アッシー」だとか、「メッシー」だとか「ミツグ」だとか…
「男」は「女」にここまでして当然みたいな感じ。

「世の女って、ここまでせんと、つきあえんの…」と唖然としていたもの。
心の底で思っていたんだろうね、「あ、これは相手するの無理だ」って。

実際には、そんな女性ばかりではないというのは、歳を取って頭では理解できるようになった。

でも、実際に付き合った経験のない当時中学生だったワタシは、
その狂った情報を、知らず知らずのうちに真に受けていたようだった。

イタタタタ…だよ。
実際は全然違うのにね。


何かしてもらって当然だと思っている人からだったら、「甲斐性なし」と言われるだろうね。
こんな話をしたら、一般的には「魅力的」には映らない話だと思う。


それでも、勝手に創造された「男性性」を要求されても苦痛以外の何物でもない。
まして、勝手にイラッとされた所で知ったこっちゃない。

「察して」ができない人間だから、言ってくれんと分からん…としか言いようがない。


「男/女だからどうあるべき」なんて話、もういらないんじゃないかな。

「男性性」だとか、「女性性」だとか、共通の「概念」を消費するために生きている訳じゃないんだから。


そんな勝手な「性別の概念」に踊らされて、何が楽しいの?と思う訳。
その「性別の概念」に苦しんでいたワタシも、同時にイタタタタと思う訳。

それでも「男性性/女性性」に踊らされたい人はどうぞ。
でも、ワタシはその「性別の概念」のダンスをしようと、手を差し出すことはしませんから。


「男」だから、「女」だからという「概念」振り回すの、お互いやめにしませんか?
じゃなくて、「ワタシはこうしたい」「ワタシはこうして欲しい」と言えばいいだけの話なのにね。


説教・批判・嘲笑・からかいなら、今まで散々受けてきたから間に合っている。

そして、肉体的な「性差」を否定するわけじゃない。
そこまで否定したら、「子どもが欲しい」という生物的なワタシたちをも否定することになっちゃうから、
おかしな話になってしまう。

一緒にいて楽しいと思える相手とだけ時間を過ごせればいい、ということだけ。