「洗礼を受けた者に与えられる3つの祝福」
"イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると見よ、天が開け、神の御霊が鳩のようにご自分の上に降って来られるのをご覧になった。
そして、見よ、天から声があり、こう告げた。「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」"
マタイの福音書 3章 16〜17節
聖書 新改訳2017
この聖書の御言葉には、
イエス様が洗礼を受けられたときの出来事が記されています。
これは、神であるイエス様が人間に等しくなられた、人間と同じように洗礼を受けられたということが記されています。
言い換えれば、洗礼を受けるということはどういうことなのか、
洗礼を受けると、どのような恵みが与えられるのかということを私たちに教えてくれるのです。
1.「天が開け」
私たち人間が神様に背いてしまったために、長い間、天国の門(入口)が閉ざされていました。
しかし、私たちがイエス様を信じて、洗礼を受けるとき、天国の門が開かれるのです。
これには、2つの意味があります。
1つは現世の祝福です。
今まで閉ざされていた天の門が開かれ、神様と私たちが直接つながったのです。
祈ることを通して、神様と私たちがいつもつながっている。私たちが祈れば、その祈りが天に届くようになったのです。
そして、もう一つは、天国の門が開かれたということです。
この世の生活を終えたら、
永遠に滅びることのない身体と永遠の生命をいただいて、イエス様と一緒に永遠に幸せに生きていくことができるようになったのです。
2.「神の御霊が・・・降って」
イエス様を信じて洗礼を受けると、
聖霊が私たちに注がれ、聖霊に満たしていただけます。
自分の力だけで生きていこうとすると、しんどいですし、人を愛せなかったり、受け入れることができなかったりします。
しかし、私たちの心に聖霊が注がれる(=神様が心の中で生きて働かれる)ことによって、
私たちは神様の力をいただいて、
イエス様の十字架の愛で満たされて
生きていくことができます。
3.天からの声「これはわたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」
私たちがイエス様を信じて洗礼を受けるならば、
神様は私たちのことも「あなたは、わたしの愛する子だよ、あなたがいてくれて嬉しい。」とおっしゃってくださいます。
「自分なんてまだまだ駄目だ。」と思っていても、自分で自分のことをどう思っていようとも、神様の目から見れば、私たちは神様に愛されており、神様の御心にかなった者なのです。
2018年 1月14日 田辺ナザレン教会での礼拝メッセージより(一部改変)