いろいろと生活環境が変わりました。

 

大きな決断をして、生活環境をがらりと変えました。

 

私自身と子どもの未来を守るために。

 

はたから見たら、事情をしらない外側から見ただけの人から言わせたら「人でなし」の行為。

 

だけど、私たち親子からしたら、そういう外側の人たちこそ「人でなし」。

 

それに気が付いた。

 

それだけのこと。

 

だけど大きな決断でした。

 

 

何も、私一人が「私が、私が・・・」で受け止めて全ての責を背負うことはなかったと気づいただけ。

私に責という重荷を背負わせて、兄弟はじめ、親戚一同が逃げていただけ。

良心の呵責に苛むような「責」という表現に、私たち親子が縛り付けられていただけ。

親子というか、私が縛り付けられていて、それに我が子が巻き込まれていただけ。

 

そこから脱出しただけ。

 

そして当たり前の普通の生活を歩み出しただけ。

 

だから………

 

過去に引き戻そうとする、また「責」を背負いこませようとする自分勝手な輩から離れただけ。

 

 

私は、物心ついたころからDVを受けていたそうです。

「そうです」というのは、私自身、言われてから気が付いたからです。

専門的知識のある方々からアドバイスや支援をいただき、数十年生きてきて、初めて気づいたからの「そうです」という表現なんです。

 

二十歳を過ぎたころであった「アダルトチルドレンの本」から、私はアル中の家族がいるアダルトチルドレンだと気づいてはいました。(気づいた時、「生きづらさ」の正体を見つけ、ホッとした自分もいまいました)

 

得体のしれない生きずらさ、身の置き所のない不安の正体、現実なのか夢なのかわからない精神状態……幼いころからずっと胸にあった感覚。(今思うと、解離性の一歩手前くらいの状態だったと思います。)

その正体を見つけられたかのような安心感がありました。

 

しかし

 

それだけではなかった深い深い根源がありました。これも、つい最近、気づいた(気づかされた)ことです。

 

DV

アダルトチルドレン

不完全機能家族

 

DVと一言で言っても身体的暴力、精神的暴力、言葉での暴力だけがDVではないそうです。

 

私は身体的暴力、精神的暴力、児童虐待等々受けてきていたそうで、それも生まれてからずっとのことなので私自身は全く認識していませんでした。

 

子は親に従うべき存在。

子は親の面倒を見る存在。

子は親を煩わせてはいけない存在。

子は親の期待にこたえなければならない存在。

子は大人に従う存在。

 

………そんな環境が当たり前の生活だったなぁ・・・・と生活環境を変えた今、蓋をしていた記憶がぽつりぽつりと脳裏に浮き上がってきています。

 

 好きな物って?

 好きなことって?

 好きな食べ物は?

 好きな遊びは?

 好きなアーティスっとって?

 好きなところって?

 

 自分自身の「好きなこと」がわからない?

ハッとしたし、衝撃です。答えられない自分がいて。

 

 自分自身の思い、意思を「答える」のではなく親の、大人の、周りの人間の与えられた(押し付けられたともいうのかな?)事柄に「応える」生き方しか知らない自分。

 

 

 これからは、自分自身の思いを意思を答えられるようになりたい。普通の生活というものを知りたい。

我が子と一緒に・・・・。


 新しい第二章のはじまりです。


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