私が自分で全く気づいていなかった思考の癖
これに気づいた時は、本当に驚きました。
そして、そのことで
「自分の現実を造っているのは、他の誰でもなく自分なのだ」ということに心底気付かされたのです。
私は、自分の目の前で、誰かが(Aさんとします)誰か(Bをさんとします)を褒めるとき、もれなく自分がけなされている感覚になってたんです。
Bさんと比べて自分はダメな人間だと言われていると感じてました。確信してました。
あるいは、私は価値のない取るに足らない人間だと思われていると。
すごく嫌な気持ちになってたんです。
もちろん、私もBさんは素晴らしいと感じています。
でも、なんでAさんは、わざわざ私のことけなすのかなって。
↑不思議な思考回路でしょ
そもそも、Aさんには、そんな気持ちは微塵もないのではないか
私が誰かを称賛するときだって、他の誰かと比べてなんかないのに、なんでそんなふうに感じるのかなって、自分の思い込みに疑いをもち始めました。
初めは、母親との関係がその原因だと思ってました。
私の母は、いつも、兄弟や私の友達と私を比べ、私にダメ出しをしていました。
私の目の前で他の人に「うちの子は、全然ダメなんです。」って言ってました(笑)
今は、母親なりの「もっと良くなって欲しい」という思いだったり、謙遜だったり、見栄もあったとわかります。
でも、子どもの私は、深く傷ついていたのです。
ただ、それはあくまで私の思い込みの原因とか、きっかけに過ぎませんでした。
私を、人と比較して、けなしダメ出ししてたのは…
なんと…
私だったのです
ある日、はっきりと、聴こえたんです
「それに比べて、あんたは」って、自分の耳元で私を罵る私の声が
もう、びっくりです。
しかも、
誰かが誰かを、だけでなく
私自身が誰かを称賛している時さへも
それは行われていたのです。
日常の人との関わりの中で、だけでなく
テレビのドキュメンタリーやニュースの中で素晴らしい人が取り上げられるのを見て「素敵だなあ」と思うたびに…
自動操縦で
「それに比べて…」
これまで何十年と、自動操縦のように行われていたので、全然気づいてなかったんですね。
気づいたら意識できます。
意識できたらやめられます。
思考の癖、不要な思い込みに気づいたら
手放しのチャンス
手放していい時が来たんだ
最近は、そんなふうに楽しんでいます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました