杉本健吉と親しくしていた

須田剋太の「私の曼荼羅」という画集を開いて

眺めています。

模写など試みたりして。

 

 

「私の曼荼羅」より


15.兜梅 須田剋太模写
兜梅というのは天草の延慶寺の樹齢500年の梅の古木、地を這うような姿の別名臥龍梅。
なぜ、兜梅と呼ばれているのか?
この梅の木には強く美しくも、悲しい言い伝えがあるそうです。
天草の観光を紹介している
ネット情報によると→AMAKUSA 天空の船 


「兜梅」命名は伝説によります。
天草下島を治めていた天草5人衆の天草氏は新たな藩主、小西行長と加藤清正軍との戦さとなります。落城寸前の時に、2.30騎の騎馬隊を率い敵陣に切り込んだ部隊。先頭は武勇の誉れ高い木山弾正。敵を蹴散らし進む行く手の梅の木に兜がかかり、脱げてしまいます。
すると、木山弾正と思われた武人。実は夫の鎧兜を身に着けた妻のお京の方でした。加藤清正との一騎打ちで敗れた夫にかわり、女性で編成した部隊で戦いに挑んでいたのです。お京の方、最後の言葉が「これから永久に、この梅には実をつけさせない」とか。不思議な事に言葉どおりこの梅には未だに実がつかないそうです。

司馬遼太郎も「街道をゆく 島原・天草の諸道」の中でこの梅の白い花を称えており、街道をゆくの挿絵を描いていた須田剋太も
天草まで司馬遼太郎と一緒に梅を眺めに訪れたのでしょう。梅の花を白い紙で表現している所もまた尅太の画風でとても素敵な絵。
私も白い紙を散らして真似してみました。
ただ、描くだけではなく、いろいろなモノを使ってその質感などを表現している所も彼らしい、素敵な所です。

 

 

 

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