杉本健吉と関わりのあった

画家のひとりに須田剋太がいる。

 

東大寺の二月堂で有料頒布されている「椿絵馬」は

須田剋太画伯の絵が基になっています。

その絵馬の裏面に「お水取り椿」と書いてあり、

絵馬の表面の椿の絵にサインが入っており。

 
須田剋太もまた
東大寺にゆかりの深い画家のひとりである。
 

 

写真家の入江泰吉が当時を思い出して
語り残している。

杉本健吉さんもあのころ観音院をアトリエにして、
奈良を朝から晩まで描いていた。資材の不自由なときで、粗末な紙に矢立筆で。そのころ、唐招提寺へ行ったときのことですが、雪が降っていまして、唐招提寺のあの道のまんなかで仁王さんのように立ちはだかって、スキー帽きて、絵を描いている人がいるんです。それが杉本さんなんです。
それを見て打たれる、というよりも、大へん刺激になりました。それから須田さんは須田さんで、大仏殿の正面でパンツ一枚で、油絵の百号を描いておられた。それが風で飛ばされないように、イーゼルに大きな石ぶら下げて、横にスリバチ置いて、そこへ絵具の残りを入れて。
須田さんという人はわりに穏やかな話をする人ですけれども、絵を描いているときの表情はちょっと近寄りがたいものがありますよ、すごかったです。・・・」
文:対談「味楽談楽」より
 
須田尅太と杉本健吉は
東大寺アトリエにて
二人で切磋琢磨して絵を描いた。
それぞれの描き方で奈良の風景や仏像を
表現し、語り合ったのだろう。
 
いい仲間に出会えたことは
須田尅太にとっても、
杉本健吉にとっても
かけがえの無い財産だったのでしょう。
 
須田剋太の画集を見ていると
力強いパワーを感じる。
ちょっと感化されて
アクリルガッシュで塗ってみた。
 
 
 
何必(かひつ) 

  あながち、それのみに限らずとの義。

  人は定説にしばられ自由を失ってしまう。

  その定説を『何ぞ必ずしも』と疑う。

  という言葉。

 

  必ずしもそうしなければならない

  ということはない。

  「こうで無ければ」という手本が無い

  絵手紙に通じるものがあると思う。

 

  須田剋太展の画集には「何必」と

  大きく書いた書がある。

  いかにも大胆で堂々とした書である。

  私も真似て「何必」と言ってみる!

  何かが変わった気がした。

 
 
ねぎ 719/1000
 
 

 

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