空海が創った宗教都市・高野山には、異次元の超能力への憧れや、得体のしれない霊力への畏れのような様々な強い想いが満ち、普段の生活から別世界に迷い込んだような感覚に陥ります。
私事ですが十数年前、高野山真言宗総本山金剛峰寺からセミナー講師の依頼を受けたことがありました。
雪の降る1月の寒い日に高野山でたった一軒のビジネスホテルに泊まり、翌朝金剛峰寺の立派な寺務所に出向きました。
講堂の雛段には弘法大師の絵が掲げられ、その前で講演するよう言われましたが、お大師様の絵に背を向けて話すことが畏れ多く、絵を隠していただいて何とか2回の講演を行いました。
金剛峰寺で働く全国から集まった真言宗のお寺の関係者を前に、即身成仏の教え通り弘法大師は生きているという感覚に触れたことは私にとって得難い経験でした。
その後、何度か高野山を訪れましたが、観光客の域を出られず、奥の院も工事中で弘法大師の神秘に触れることはできませんでした。
「いつか雪の高野山に行ってみたい」という願いは、写真家としてどうしても撮影したいという欲求になり、突然思い立って行くことになりました。
自宅からバスと電車を乗り換えること6回、3時間半かけてようやく高野山駅に着くと、そこだけ雪が積もっていました。
途中まで雪が見当たらず、高野山に雪が無かったらどうしようと心配しながら、一方で不思議な緊張感で口や手に力が入るという違和感がありました。
バスで千手院橋まで行き、金剛峯寺に向かいました。
正門に着きましたが、雪が積もっていると違う寺院に来たように思えます。
かっては天皇や皇族など限られた人しか入れなかった正門をくぐります。
左手に大切なお経を保管する経蔵が、延焼しないよう離れて建てられています。
大阪商人の井川屋が寄進したとか、その気概が素晴らしいですね。
小玄関の屋根の上に天水桶が見えます。
火災時に延焼を防ぐための雨水が貯められています。
大玄関の立派な破風です。
ここも天皇や皇族など一部の人しか入れず、参拝客は今でも入れません。
鐘楼の屋根に雪が積もり、樹木越しに太陽の光が差し込んでいました。
今まで高野山で見たことの無い美しい風景です。
順路に従い内拝します。
廊下の影と雪のお庭のコントラストが鮮やかです。
別殿から播龍庭に向かいます。
途中の梅の間・柳の間・別殿では見事な襖絵を見ることができますが、撮影できません。
参拝者のためのお茶の接待がある新別殿です。
弘法大師の肖像と曼荼羅図が掲げられています。
中央に「心」の額縁が。
文字に籠められた教えに、わが心を見つめなおします。
別殿の白壁に移る樹の影がまるで水墨画のようです。
播龍庭は石と雪だけの禅寺のような雰囲気です。
雪をかぶった石の風情が楽しいですね。
高野山の重要な儀式に使われるという「書院上壇の間」です。
高野槙・水・香炉・ろうそくと共に野菜(大根・人参・サツマイモ)がお供えされています。
香り、花、灯り、水、食べ物の五供かと思いますが、宗派が異なるとお供えも変わるのですね。
右のふすまの奥は武者隠しです。
上の写真の左に置かれた立派な台に目を惹かれました。
何を置くのでしょうか?厨子?
金剛峯寺の核心部のひとつ、奥書院です。
暗い襖絵は「雪舟四代目」を名乗った雲谷等益(うんこくとうえき)と、その息子の等爾(とうじ)の筆と言われています。
襖絵は撮影禁止ですので、写らないようにしたのですが、許されるかな?
私は囲炉裏の奥に置かれた仏像が気になります。
土室(つちむろ)です。
囲炉裏を囲んで暖をとれる部屋です。
周囲には千住博画伯の障壁画「瀧図」が写っています。
でも暗くてよく見えませんでした。
土室の隣に台所があります。
ここも被写体の宝庫で、写真家として目が離せません。
三つの釜で2石の飯を炊いた「二石釜」です。
台所の神様、荒神さんが祀られ、お札には修行を経て僧侶になった人の名前が書かれています。
ようやく内拝が終わりました。
下門から出て振り返った景色です。
清々しい気持ちになれ、青空が綺麗でした。
高野山金剛峰寺を参拝し、その密教の歴史と今も生き続ける弘法大師の教えに触れることが少しですができたように思えました。
※写真はすべて私の著作物で透かしを入れています。
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